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親子
《すずやん》というタイトルは前にも一度使ってたことをさっき思い出したので《親子》に変えました
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すずやんが先日投稿したnoteを読んだ
どちらもめちゃめちゃアツかった
暦の上では立秋を過ぎたとはいえまだまだうだるような暑さが続いているというのに
アツい投稿を読んだせいで暑さに拍車がかかってしまった
暑さ🔥×アツさ🔥
勘弁してほしい
なんせわが鈴村家にはクーラーがない
〜生存方法〜 ※真夏バージョン
①部屋用とは別にひとり一台ずつ自分専用サーキュレーター
②冷却まくら(ただし長時間冷え冷え〜と表記されてるにもかかわらず冷たいのは最初だけで2時間も経てば常温まくらになるしぶいヤツ)と水入れてキンキンに凍らしたペットボトル(いちばん太い血管が流れてる大腿部を冷やすとヨシ!)
③汗でベタついたら即シャワーでサッパリ!仕上げにクールローション塗って流すと冷え冷えサラサラでヨシ!
という三種の神器でやっとこさ生き延びてるとこに!
ほんでもってもはやインドより暑いと言われる日本の殺人的猛暑に「果たして来年の夏は生きて乗り切れるだろうか…」と毎年毎年命の危機を感じてるとこに!
このエモエモエナジーに満ちたアツアツのすずやんnoteを読んでしまったがためにアツアツパッションが飛び火してしもたやないかいさ!!あっつー!
そしてどうやら魂に火がついたのは私だけではなかったみたいなのだ
クーラーで冷えた快適な涼しいお部屋でたのしく読んでくれたであろう(想像)読者さんたちにもすずやんの言葉はアツく飛び火して皆のハートを次々にラブ♥️ドッキュン!(古)したのだ!
「国語の通知表1の俺がnote更新しました」とすずやんが書けば、読んでくれた人たちから一斉にめっちゃ良い文章だとお褒めのコメントが届いた
「学校の成績なんて関係ない」「国語の通知表10あげたい」「泣いた」etc.
みんななんていい人たちなんだ…!優しさにこっちが泣けてきますほんまに
つくづく言葉の力ってすごいなー!と思う
たったひと言が一瞬で心をうれしくしたり元気モリモリにしたりするんだもの
美しいな〜
私は実母の死に目に会えませんでした
なんでも話せるとても仲良しな母娘だったのに色々あって(長くなるので詳しくはまた別の機会に書こうと思う)私から母を避けるようになり私が鬱を発症してからは近所に暮らしながらも何年も会わずにいた
母からは留守電に優しいメッセージや私の誕生日には花を玄関に置いてあったりなどしたが全て無視した
もう何もせんといてー!と家の中でひとり泣いて発狂してた
ある日母が入院したことを知った
母は若い頃から体が弱く私が幼い頃から入退院はしょっちゅう(それで私は小学生時分から家事全般できるようになった)だったけど元がお嬢様で気性がお転婆でタバコとコーヒーがあればいい母はいつもこっそり病院を抜け出して喫茶店へ行ったり病室にはミッキーマウスやかわいいぬいぐるみ、きれいなお花など、自分の家みたいに飾りまくって退屈な入院ライフを楽しもうとする強く明るくかわいい人だった
まあとにかく母の入院は年中行事だったのでまた入院したと知っても何とも思わなかったしいつものことやし心配もしなかった
それに実家の誰とももう一生会いたくないと決めていた私の心は氷みたいに冷え切っていた
この冷たさの冷却枕があればきっと鈴村家は朝まで冷えヒエに過ごせるのに
それぐらい冷たい私だった
ところがある夜異変が起こった
ベッドで寝ていたら突然ものすごく晴れ晴れとした明るい「光」としか言いようのない不思議なもので心がパーッと満たされた
その瞬間、
明日お母さんに会いに行こう 今やったら会える
と思った
あんなに嫌で避けてたのにガチガチに凝り固まっていた憎しみがなぜかスッキリ溶けていた
本当に不思議だった
なのに!翌日なぜか私は思い直してしまったのだ
「明日でもええか♪明日にしよ」と
めんどくさがりか!
母に会うことが急に嫌じゃなくなったので病院会いに行くのはいつでもええわと逆に余裕のよっちゃんになってしまったのだ
第一、母はひとりで道端で倒れたときだってたまたまそこを歩いてた人が救急車をよんでくれて一命をとりとめたし戦争をはじめ絶えず大変なことが起こりまくる人生だったけど何があっても明るく乗り越えて笑い話にしてきたので今回の入院もそんなふうになんてことなく終わるだろうと軽く考えてた
しかし、私がパァァ〜〜と明るい気持ちに包まれて「明日病院行こう」と思ったのに行かなかった翌日電話がかかってきた(当時は固定の黒電話)
留守電に入ってた従姉妹の「妙ちゃん!電話出て!!(私は鬱になってから電話を一切とらないようになってた)
「おばちゃん(私の母) 心臓止まってん!!すぐ病院来て!!」という悲痛な泣き叫び声のメッセージ
そんなん死ぬわけないやん 今まで何度も逆境を乗り越え蘇ってきた母がそんな簡単にまさか!と自分とすずやん(高1)に言い聞かせながら2人ですぐ病院に行った
チャリこぎながらすずやん「ババ(と呼んで友達みたいに仲良しだった)大丈夫なんかな」私「ぜったい生きてるって 大丈夫やって 今までもそうやったし」
病院に着いて病室の前まで行ったら従姉妹とおじ(従姉妹の父。私の母の兄)が私とすずやんを見るなり大泣きした
中に入ってベッドのところへ行くと母は亡くなっていた
え、うそやんこんなん もう2度と目ぇ開けへんのうそやろ 信じられへん うそや ほんまとちゃうやんな
「…おかあさん?」
「…おかあさん?」
「…おかあさん?」
数年ぶりに見る母は眠ってるだけにしか見えなかった
母の肩や腕に触れながら私は返事が返ってこないのが信じられなくて100回ぐらい「おかあさん?」と呼び掛けた 涙は出なかった
母が死んだという目の前の事実がまったく理解できなくて「おかあさん」と呼ぶのが止まらなかった
もう片方の手はまるで命綱のようにすずやんの手を思いっきりきつく握ってたのを覚えている
こんな怖いことがこの世にあるなんて
こんな取り返しがつかないことが起こるなんて
恐怖でわけがわからなかった
あの光はお母さんが知らせてくれたんや
それやのになんで昨日会いにけぇへんかったんや私!
昨日来てたら生きてるお母さんと会えたのに!!
ごめんな!おかあさん
おかあさんは私のことが大好きやったのに何年も会えないまま逝かせてしまった
ごめんなごめんな
今回は癌での入院だとそのとき初めて知った
でも亡くなった理由は元々弱かった心臓の発作
屋上でタバコ吸おうとエレベーターを待ってる時に倒れて亡くなるなんてお母さんらしくて今では笑えるけど
そんなわけであまりに急すぎて死に目には身内は誰も間に合わなかった
お母さんっ子だった弟はこの日母をドライブに連れて行ってて母の好きな曲の入ったカセットテープをリクエストされたのでテープを取りにいったん家に帰り再度病院に向かおうとしてたところに連絡を受けたのでさっきまで元気だった母の死が信じられず私以上に辛く受け入れ難かったと思う
喪主の私は夜が明けるまで一晩病院の霊安室で母と2人きりで過ごした
「やっと2人で会えたね〜 おかあさんほんまにごめんな」母の頭を抱きかかえ自分の頭をくっつけて言った
母の癌は舌癌でそのせいでか絶えず口から細く血が流れ出てくる
拭いても拭いても出てくる血がまるで母が生きてる人みたいでうれしかった
血を拭いながら母と色んな話をした
客観的に見たら病院の霊安室で真夜中に口から血を流してる遺体と2人きりってなかなかなシチュエーションやけど
当たり前やけどそれが親子だと怖さゼロなんだと知った
昔よく一晩中おしゃべりしてた頃みたいで母との最後のひとときはものすごくたのしかった
遺影は山ほどある写真の中からいちばん母の門出に相応しいのに決めた(一睡もしてない中で喪主の決めることややることが多すぎてヘトヘトになった!)親戚は「え、それを遺影に?!」とあかんやろ感だしてたけどおかあさんはぜったいこれ喜ぶはず!と私は気にしなかった
母がいつも履いてたジーンズと真っ白のスニーカーにボーダーTを着て笑顔でVサインしてる1枚を葬儀屋さんに引き伸ばしてもらった
葬儀に来てくれた母の友人の皆さんからは母らしいと大好評だった
病院では涙が出なかった私が葬儀ではようこんだけどっから湧いてくんねんというくらいボロ泣きした
参列者の人たちもそんな私を見てみんなボロ泣きしてた
私が喪主挨拶の最後に言ったこと「(略)母は決してあなたたちに迷惑かけずにサッと死ぬから安心しときといつも言ってた通りに亡くなりました おかあさん!あなたは最後までかっこよかったです!ありがとう…」
おかあさんいつも綺麗にしてる人やったのにまさか本人もこんな急に死ぬとは思ってなかったからか白髪がすごくてこんな頭のまま最後皆んなに見られるのイヤやろな思ってお通夜までに慌てて白髪染めマスカラでパパパーッと塗ったんやけど色が明るすぎてキンキンに染まっちゃって結局金髪になってしもたんちょっとわろた でも中途半端な白髪頭よりrockでよかったんちゃうかなw
めちゃ長文になったけどいちばん書きたかったことは
すずやんがnoteで親孝行のこと書いてたの読んで「こんなこと考えてるんや!おとなになったなぁ びっくり」です!
>親孝行をしてる気は無い
>そんなことをしてあげてると思ってる時点で親に失礼や
しびれる〜〜〜!!カッコいい!!(親)
母が亡くなった時 当時メールのやり取りをしていたある人に辛い心情を書いて送った
涙が出るほど親身なお返事が来た
そのなかに「ひめさん 自分を責めないでくださいね 誰でも親孝行は3歳までに存分にしているそうですから」
その意味がわかって号泣した
すずやんを産んで育ててほんとにほんとにかわいくてうれしくてしあわせでたのしくて素晴らしい思い出いっぱいくれた
(しんどかったことももちろん山ほどあったけど今ではいい思い出や)
辛いことやイヤなこと悲しいことがあったとき、赤ちゃんから歩き始めたすずやんの笑顔の姿を思い出すだけで「ほんま可愛かったなぁー╰(*´︶`*)╯♡」ってほわぁ〜って心の底からしあわせな気持ちになれるのありがたすぎる これだけでイヤなこと全部チャラや!
ちっちゃい頃の思い出与えてくれただけでも十二分に親孝行やのに大人になってからもライブでかっこいい姿見せてくれたりみんなで一緒に遊んでくれたりほんまにしあわせやありがとう!
すずやんが魔改造ベーシストなおかげで私は自分が軽音でベース弾いてたあの頃の死ぬほどたのしかった部活の日々がずっと続いてるみたいな気分で過ごせてこんな人生想像もしてなかったので毎日たのしくてほんとにありがたいなぁって感謝しまくれて最高です
ご縁のある大好きな人たちいつも優しくしてくれてほんとうにありがとう!
これからもすずやんをどうぞよろしく!!
にしても書き出したら長なるのも親子でおんなじやなw
トップ画像は photo by Mami Naito
先日の森良太バンド初ワンマンの時の楽屋での1枚です うれしい思い出の瞬間を撮っていただきありがとうございます✨