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手記∶今年の聖夜は笑えない
コロナ禍であるという理由もあるが、近年、訃報が多すぎる。
スマホやテレビで、著名人、有名人、芸能人、などの訃報を知ると、例え知らない方だとしても胸が痛む。特に、わたしが幼い頃から知っているお名前の方が、病気で亡くなられたりすると、なんというか、身体の半身がもぎ取られるような(あくまでイメージに過ぎないが)居た堪れない気持ちになる。
ひとり、またひとり
この世を去られると、わたし独りだけ置いてきぼりにされた気持ちで、孤独感に苛まれる。
永遠の命なんて、空想上の産物に過ぎない
そんなものはありえないし、あっても永遠を生きるなんて残酷だ。
人の命は限りがあるからこそ、その中で懸命に生きる。その命を美しく咲かせることに集中する。
偉そうなことを言うつもりではないが、人の命は、この世に生まれ落ちたその瞬間に、寿命も定められる気がする。神か、仏か、何かしらのわたし達には目に見えない大きな力が働いている……そんな気がする。
今年も訃報の多い1年でした。
でも、その事実に目をそらすこと無く残されたものは自分自身の最期まで、命を全うする。
物騒なことを言うようだが、わたしは、誰かが他界すると、死にたがりになってしまう傾向がある。瞬間的なものだが、瞳に映る世界がモノトーンになってしまうように。
歌い手のまふまふさんが、数年前、紅白で披露した『命に嫌われている』。
また、
『暗い微睡みの呼ぶ方へ』、
『生まれた意味などなかった』、
など、人間の絶望感を歌い上げているが、彼は、最後には、
『生きろ!』
と、強く叫ぶ。
どれだけ苦しくても、立ち直れないほどの苦痛を抱えていても、それでも絶望に抗い強く生きろ……わたしは、まふまふさんのそんな強いメッセージを支えに、生きている。
どんなに重い雲が垂れこめていても、いつかは希望の虹が架かる……そんな気がする。
因みに、この手記のタイトルである、
『今年の聖夜は笑えない』は、わたしの身の回りの人々の、不幸や災いが多すぎた。
笑えないけれど、1年を無事過ごせたこと(私自身が)には、感謝の気持が溢れている。
ご拝読ありがとうございました😊