内定辞退して就職するも1ヶ月のスピード離職して夢を叶えた話
日本語教師になるまでの経緯をちょっとお話します。
いま大学生は早ければ内定をもらって夏休みを謳歌してる方もいるし、周りが就活を終える中決まらず焦ってる方もいるでしょう。
インターンシップや説明会の嵐でどの企業が何だったかなんて最早覚えるのが難しいくらいたくさんの会社とお話したでしょう。
私も大学2年の夏はちょっとだけインターンシップに行き、当時は本命の県内企業にせっせと媚びを売り、人事に顔を覚えてもらおうと必死でした。
(結局 その企業は最終説明会で人事部長とお話したら、あなたは地元が違うからと受けてもいいが採用は難しいよと言われ、ほんとに二次試験で落とされました。時間を返せと本気で思ったがそれはまたの話)
人並み程度に企業説明会に参加し、地元企業に内定をもらい夏休みを謳歌。その時は日本語教師の夢はまあいつかでいいや、とかるーく考え目先の就活から逃れることだけを考えてました。
しかし、アルバイトを変えようと求人誌を読んでいたところ日本語学校の準講師募集が。前々から気になっていたインターナショナルの学校で、知り合いのペルー人の息子さんも通ってます。
そのとき、ふと、なんで私 日本語教師にならなかったんだろと思いました。
なんて、考えで安易に就活をしてた自分
夢だったのにチャンスがあるのになんでやらないの?
昔の日本語教師を目指した頃の中学生の自分に言われたような気がして、あの頃の気持ちを思い出しました
それからは何かに突き動かされてるかのように、行動しました。まず、内定辞退の電話をし、大学の就職課にも相談して「いきなりどうした?!」と周りを混乱させながらも、再就職活動スタート!
ですが、人生そんな甘くありません
この時点で12月後半、2月にはペルー旅行も決まっており、時間は全くありませんでした。
早速アポをとり応募した求人は車で片道1時間の日本語研修センター
最終面接まで行くも、通勤が難しいからと断念
その頃は毎日、毎日日本語学校の求人を探していました。しかし、なかなかあるわけもなく、隣の県や県内中部にはあるのにどうして近くにないのかと悩む日々。
内定辞退したことを悔やんだり、決まらない就活に憂鬱になりながらも2月が来てしまい、泣く泣くそのままペルーに旅行へ。
悩んだって仕方ないと開き直って旅行を楽しみました。モヤモヤはたくさんありましたが、自分で決めたこと、責任を持ちます。
3月になり卒業式を迎えてもまだ決まらず、3月中に決まらなければ辞めよう、そうやってまたここで諦めました。
生きてくためにお金が必要だったというのが本音。
だから、すぐに採用してくれたエステティシャンの仕事を始め、4月の研修も終わり配属店舗へ移動。
でも、人間関係に馴染めず、また土日休みがないため教会に通えなくなり、精神的に追い詰められやむなく5月半ばでスピード離職に。
幸い恋人も母も仕事を辞めることを進めてくれたので、罪悪感はありましたが辞めてからは心が解放され、また頑張れました。
そして、6月に入り毎日ハローワークに通いました。
日本語教師の求人は少なく、やむなしに事務仕事や車がないので通勤が楽なとこ、人間関係が濃くないとこなど一般職をメインに。
毎日探して、たくさん応募しましたが、全部振られてしまい同期が初任給をもらって遊んでる中、何をしてるんだ私とまたもや憂鬱に。
でも、ここでまたしても日本語教師の求人を発見。
経験者の募集でしたが、ダメもとでハローワークの人に聞いてみると「もうほぼ決まってる人がいるけどとりあえず書類送って」と。
まず募集要項満たしてないし、もう確定してるなら
まあ、だめだろうなと思いましたがチャンスなので応募してみることに。すると、面接に来てくださいと言われて、その1週間後、採用したいとご連絡が!
何かの間違いかと思いましたがようやく、働ける。
周り道ばかりで同期より半年も遅い就職、しかも就活期間は2年くらいかかってます。だいーぶ遅い!
いま、日本語教師になりましたが、まだ研修期間中なので3ヶ月でクビにならないか心配ですが日々精進!
せっかく掴んだチャンスを輝かせるため頑張ります!
※ちなみにほぼ採用決まってた方も同じ会社の現地校へ赴任が決まったそうです
以上がわたしの就職に至るまでの過程でした。
読んでいただきありがとうございます!
もし今、就活で悩んでる方、いつか必ずちゃんと就職はできるから、妥協しないで自分の好きなこと、したいことを忘れないで。
嫌だな、無理だなと思ったら逃げていいよ。
大丈夫だから。何社も何社も見なくていいよ
私が伝えたいことは以上です。
サポートしてもらえたらうれしいです。