自己肯定感のつくりかた


父の体調が悪く、実家に帰ってきたそれによって実家にいる兄とも対面


アスペルガーは父だけでなく兄もだと実感

前回から知識と認識が増えたがために一つ前の記事のように憎悪に心は乱れないものの


平行線の会話
怒涛に自分の意見ばかりを連続して発言
感情的にかつ一方的に投げ捨てられる言葉
普段生活をしていたら聞き慣れないような脅迫
相手を敵と思い、攻撃する姿勢
自分のテンポで散らかる会話
ころころ変わる機嫌

それら全てに心が限界を迎えて泣くことしかできなかった

しかし私の家はアスペルガーが2人もいて母も余裕がない人だったために私は泣いてからしか聞き耳をたててもらえない

聞き耳も立てられても、徹底的な否定や一方的な「泣くな」という宥められ方のみ

抱きしめて「辛かったね。大丈夫だよ。」
ただそれだけがほしかったのに


反応してもしなくても私の気持ちを大切にされたことはない

そんな環境だからこそ人の怒りを買わないよう機嫌を損ねないよう自身で自身の心を守るために人を観察する癖がつき、考える癖がついた

それによって幼心ながらも私にマッチする大切の形ではないものの穏やかな時は各々の形で私を大切にしてくれているということ理解できるようになった


他人からのアクションに対して、ある程度自分の知見と知識で心を守れる大人になったけれど、父が長くないという状況と仕事の繁忙期、自身の人生イベントが重なった普通に生きていても辛くなる瞬間がある状況下ばかりは守りきれない

否定的な言葉や脅迫まがいのことを言われればいつか限界がくる
その限界が今日だった

父と兄、叔父というスリーコンボによって織りなされる飛んだり跳ねたりする会話
わたしは矛盾を感じながらもついていこうとするが、筋の通っていない先入観で進められる話に強い言葉や自信を何度も一括りにして悪者にされる会話に心が疲弊してしまって号泣

誰もわたしの考えを聞こうとも理解しようとも状況を考えようとも心に寄り添おうともしない状況下に耐えられなかった

でも昔のように号泣して思考が停止するほどやわではないがために思考は巡り巡る
巡り巡って相手を逆撫でないように泣いてはいるものの語尾や言い方に気をつけて発言を必死にする
一瞬泣いてるやつが発言するから静まるものの
、ものの3秒でその静寂は相手方の正しいと思う発言で潰される


あ〜、わたしこの家でよく18年間生きてきたなあと正常な状況下で生活をするようになってから実感
表舞台では親に愛され、家族と仲良く何も不自由ありませんというようなお嬢様のような、時には優しくて温かい家族から大切にされたというような自己肯定感の高い人を演じてみた

でも心の根っこには常に孤独で誰からも必要とされないのだと言う自己肯定感の低さが根付いている
そのうえでいつも限界を迎えるたびにどのように死のうか具体的なイメージをする
(生命保険の契約書を判るようにしておこうなどという他人への配慮まで具体的に考えすぎて結果死ねていない)



実家やっぱりつらいなあ
お父さんが亡くなったらすぐに縁を切ろう
相続財産はきっと何ももらえないだろうからきれいさっぱり縁を切ろう

やっぱり知識と知見と経験が自分の心を守るからしっかりそのあたりを強化しよう
学ぼう、命ある限り
他人がどんな言葉や狂気で接しようともわたしはわたしのこと大切に思ってるよ、わたし


誤解なきように記すとアスペルガー=悪では全くありません
わたしの家の父と兄ですら同じ遺伝子でも性質は全く異なります
父と兄は双方ともにアスペルガーを認識していないものの、父は性格が良く部下も多く従えるような立場に立つような人で誰からも愛される人です。ただ子育てには無関心でわたしの生まれた日も時間も現在の歳も何をやっているのかも覚えていないし、自分に興味のない分野に関しては話をしても聞かずに自分の話ばかりします。他人という一定の距離がある人なら性格の良さから許容できる範疇かもしれませんが、物語や友人から聞く父親の姿は幻想だとしか思えない話ばかりでした。
兄は母と父から産まれたが故に自分の良いと思うかたちで他人を想う気持ちはあります。それとともに家の外では臆病で小さい頃には友人にだまされたり、いじめられたりしていました。兄の想い方と他人の想い方が一致すると、とても優しいお兄さんと映るのでしょう。他人からよくそのように言われます。しかしお腹がすいていたり、寝不足であったり、自分の生活のルーティンが乱れたり、自分の意見やルールが他人に理解されない瞬間に怒りのスイッチが入り、感情のままに発言、行動します。そのスイッチが切り替わるまで時間がかかり、自分のタイミングでスイッチが切り替わると何もなかったかのようにいつも通りになります。

というようにアスペルガーでも異なる性質があり、程度も異なります。アスペルガーと認識して努力されている方もいらっしゃれば、アスペルガーとわからず日々の生活を苦慮されている方もいらっしゃると思います。
最近、名前がついたような病気のため根拠資料は少ないものの障害に対する正しい理解とその人の性質、性格、環境への正しい理解があれば周囲と調和ができると思っています。

障害の有無にかかわらず、人間関係を築けば周囲の方が接することで恩恵を受けることもあれば、ダメージを受けることもあります
ですがアスペルガーに関しては当事者も周囲との違いに戸惑いダメージをうけることもあれば、周囲の人もダメージを受ける際に正しい理解を持っていなければ不要にダメージを受け、自分の心を保てなくなる時が来る可能性もあります

だからこそわたしは学び続けます
そして自分の人生の主役は自分だから自分の心と体を大切にしようと思います
それはどんな人であっても一緒であってほしいです

他人の声が耳に入りやすかったり、反対に他人の声が入ってこなさすぎたりと環境によっては色々だと思いますが、自分の心の声に素直になってね
大丈夫だよ
わたしも含めみんな大丈夫

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