障がいのある子を育てるvol.3(5歳)
前回の話はこちら↓
年長の年、療育園から保育園に転園。
加配の先生をつけてもらった。
この頃の娘は、まぁ見た目で「障がい児かな」とか「知的遅れてるな」とは、全くわからなかったと思う。特に幼児の間はわかりにくい。
一緒に過ごせば、「言葉が上手じゃない」「歩き方がぎこちない」ってのはわかるけど、同じクラスの子達も、同じ年長児なわけなので、全然わかってなかったと思う。
ただ、ある日公園で遊んでた時に、知らない女の子が一緒に遊ぼうとしてきて(多分小2くらいだったはず)、その子に「この子障がいある?」と聞かれた事があった。
「なんで、わかったの?」って聞いたら、
「私のお姉ちゃんも、障がいあるから。」と、
その子は言った。
見る人が見ればわかるんだなぁーって、感心した。
話を戻す。
保育園では、歌やリトミックは大好きだったから、楽しく参加してた。
でも、一つ苦手な事があった。
運動系のコト。
かけっこや、マット、竹馬、縄跳び。。
上手く出来ないから、みんながサポートしてくれる。
ちょっとおませなお友達は、だんだん気づいてくる。
「障がい」に気づいた訳ではないけど、
「お世話してあげなきゃ」って子が出てくる。
数名の女子が、娘のお世話を張り切ってしてくれる。
私はその姿が嬉しかった。
この子達と、同じ小学校に行けば、安心かな?と。
でも、娘は違った。
お世話が好きな娘は、お世話をされる事が嫌だった。
この時、軽度の知的障がい児だった娘には、「自分が周りからどう思われてるか」というコトがわかってたんだと思う。
それが、娘の「自己肯定感」を下げてしまう気がした。
保育園で泣く日が増えた。
意地悪するような子はいない。
でも、泣く理由を説明する言語力がない娘。
まぁ、この歳だと、健常児でも、そんなもんかもしれない。
私も悩んでた。
療育園にいた頃と、保育園にいる時。
娘の様子も気になったが、
保護者との関係にも悩んだ。
どちらの園でも、深く付き合う保護者はいなかった。会えば挨拶はするし、立ち話もする。
娘の障がいの事も結構話した。
でも私が「ママ友」ってのが苦手だったから、
そういう輪に入る事は避けてた。
ただ、保育園に行ってからは、他の保護者さんに「申し訳ない」とかいう負い目を感じてしまう事がちょこちょこあった。
娘の為にレベルを下げた取り組みをしてくれたり、
みんなで娘をサポートしてくれるような構図になる事があった。
それが、きつかった。
「ずっと申し訳ないって思いながら過ごすのか?」って自問自答してたな。
自分は幼稚園の先生をしてた経験がある。
保護者さん達が、我が子をどれだけ愛していて、
園生活での成長を、どれだけ楽しみにしているか。
そんな気持ちを持った保護者さん達を見てきたから、余計に申し訳なくなったりもした。
特にこの園は、各学年1クラスで、みんなは赤ちゃんの時から一緒に過ごしてる。
その仲間達とのラストイヤーである年長さん。
そのタイミングで、障がいのある娘が転園してきたわけで。
誰にも否定的な事を言われたことはないし、
みんな可愛がってくれた。
17歳になった今でも、道で会えば「〇〇ちゃん、大きくなったねー」と、声かけてくれる。
年長の1年だけだけど、そんなタイミングで転園してきた娘だから、きっと印象に残ってるんだろうなぁ。
私は、あのクラスにいた子達の事、ほとんど名前覚えてない。
そんなこんなで、いよいよ小学校をどうするかを決める時期に来た。
地域の小学校に行くのか?
支援学校に行くのか?
両方見学にも、もちろん行った。
まだ年長児。迷う。
でも自分の中で決めてた事がある。
「自己肯定感」を下げない環境に。
自分を嫌いにならないで欲しかった。
あと、話を上手く伝えられないのは、
やっぱり心配だった。
学校で嫌な事があっても、説明できないんじゃないか?
どちらを選んでも、もし「これ違うな」と思えば、そっから転校もあり!
そう思って、最終的に私は「特別支援学校」を選択する事にした。
親や元旦那、友人、色んな意見があった。
「支援学校」を反対する意見もあった。
どっちに行くのが正解なんて、わからない。
でも、私は決めた。
「特別支援学校」での事は、また次の機会に。。
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