灰色のミツバチ(3)
「セルゲイ・セルゲーイチが寒さのあまり目を覚ましたのは、真夜中の三時頃だった」
この一文から物語は始まる。真冬のウクライナ東部の小さな村。辺り一面、雪景色。静逸なる世界。時折聞こえる砲火以外の音は殆ど聞こえない。
ここはウクライナと親ロシア分離派が対峙する紛争地帯の真っただ中、グレイゾーン。村には主人公と、彼の幼馴染(パーシャ)しか、もはや住んでいない。他の住民はみな戦渦を逃れて避難してしまっている。
過酷な環境で独り生きている主人公の姿は、ロシアの風景画家イヴァン・シーシキンの名作「На севере диком(in the wild north)」をイメージさせる。
色々な人の感想を読むと、本作品はこの静逸な情景描写がとても印象的だという声が多い。私も同感だ。
そして、この前半の静かな雪景色は、物語の中盤から後半にかけての春から夏の部分と見事なコントラストをなしている。
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主人公の住む小さな村には、二つの通りしかない。この名前がまた絶妙だ。
レーニン通りとシェフチェンコ通り。
ロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンと、ウクライナの国民的詩人タラス・シェフチェンコ。この二人の名前が一つの村に併存しているわけだ。ソ連時代なら不思議ではない。しかし、物語の設定は2017年。ソ連崩壊から既に四半世紀以上経過しており、この間にこの村のレーニン通りも「とっくの昔に」改称されている筈なのだが(例えばレニングラードがサンクトペテルブルクになったように)、未だに残っているのは作者による「いたずら」ないしは「仕掛け」ではないだろうか。
この村の構えが、ウクライナ東部のメタファーなのだ。
物語の中では、このレーニン通りには主人公の家があり、家のバックヤードは西側(=ウクライナ側)を向いている。逆にシェフチェンコ通りに住む幼馴染パーシャの家のバックヤードは東側(=ロシア側)を向いている。そして、パーシャは親ロシア分離派とつるんでいるのでは?と主人公は睨んでいる。
物語の途中で、主人公が通りの名前の書かれた道路標識を全て入れ替えて、心スッキリとするくだりが面白い。レーニンよりシェフチェンコが好きな主人公は、ロシア側とつるんでいそうパーシャこそレーニン通りに住むに相応しい、というわけだ。
さて、では「ウクライナ代表」のセルゲイと、「親ロシア分離派代表」のパーシャは、果たして同じ村で二人きりで上手くやっていけるのだろうか??
あまり書いてしまうとネタバレになってしまいそうなので、とりあえずこの辺でお仕舞いとしておきたい。
了