死ねない理由と死ぬ理由
毎日毎日、テレビをつければ自殺だ殺人だ事故死だと
人の命の終焉のオンパレードで、
そんな報道一つ一つに憤りながら泣きながら、
じゃあなぜ今私は当たり前に生きているんだろうと考える。
簡単だよ、死ねないからだ。
生きていることになんて、
なんの意味を見出せているわけでも無いけれど、
死にたく無い理由だけは山ほどあって、
それを生きているべき理由に勝手に変換して
無為に生きながらえている。
本当なら私なんかのの命と引き換えに、
本来は生きるべき命があったんだろうと思いながらも、
生きている以上はそれは必要な運命なんだろうと
またくだらない変換をする。
自殺なんて出来ない。
残った子供らが自分を責めて悲しむから。
ならば責めて不治の病が見つからないかしらん。。。
それなら保険金も残せて諦めもつかせてあげられる。
最高のシチュエーションは、
今まさに車や電車に轢かれそうな人が居て、
その人を助けて死ぬパターン。
私も英雄、残された子供らも英雄の子供。
最高の命の捨て方笑笑
ずっと、死ぬ勇気があるなら生きられる、
死ぬ気になってるならなんだって出来るじゃん!
って思っている時期があった。
それくらい私にとって、死ぬってことは怖かったから。
でも何年か前にある人に、
「死ぬ気になればなんでも出来る、
なんて間違っても言わないでね。
人が死のうとする時、それはもう死神に魅入られていて、
死ぬこと以外に対して情熱なんて持てないんだから」
って言われて、
その人は私にとって
とても大きな影響力を持った人だったから、
なるほどそういうことなのかって妙に納得してしまって、
それきりそれは私の思いにもなった。