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ストーリーを食べて、生きている

本日私は予期せずおつゆ茶碗を買いました。ずっと100円で購入したものを使用していたので長く使えるものに買い替えたいな。。と思っていたのです。購入したのはyokohamawoodさんのもの。小ぶりなサイズと厚みが良いな、と。なによりキッチンに置いていて、気分があがりそうだったので。


また、ご家族の中にアレルギーをお持ちの方がいて、素材にこだわりまくり紆余曲折をへてこの様な作品が現在にある、というお話をうつわ屋さんに聞きました。


物の裏側にあるストーリーってすごく面白いな、と思います。そのストーリーを知ると先程まで持っていた自分の視野がグン、と拡がる感じがする。そして大切に使いたいという気持ちが沸いてくるのですよね、不思議な事に。

でもその傍らで説明しなくても良いもの。。パッと見が良くてコストもまあまあ、つまり制作の裏にあるプロセス抜きでも売れていくもの、それはすなわち人件費の削減にも繋がっているとか。

そうなってしまうのは判ります。私もコスト必ず見ますもの。。そして見た目も重要。

でも、なんだか変なからくりや。。思うのも事実。物が喋れれば問題ないのですが、そんなわけには行かず、皆がサイコメトラ―な訳でもないし(爆)。でも、商品と消費者の間を繋ぐ販売する人、即ちコミュニケーターの存在を削減したいという事は、どんなに良いものでも価格が高かったり、外側の条件が邪魔をしてしまい、その商品が持つストーリーを知らないまま素通りしてしまう人も発生してしまう。という事も起きると思うのです。ウェブ上だと、コミュニケーターの役目を果たすのが言葉になるのでしょう。

その商品と自分の間にあるバイブレーションや、求めているものの違いという場合もありますが。

私も消費者の立場で、買いたいなと思っていたものがあっても販売員さんとうまくやり取りができなくて買うのを辞めてしまったり、色あせてみえてしまったりという経験が、ある。だからどんなに良い物でもその川下にいる方々まで良い水が行き通ってないとそこで水は止まってしまうものだし、その逆は良い水をじゃんじゃん流せる循環が出来上がっていくという事なんだろうなあ。

うーん、話がまとまらなくなってきましたが、ストーリーを語る事はAIには出来ないのでやはりそこは人間の役目なのではないかと思うのです。そして街であれ、ウェブ上であれ伝わるストーリーが更に響き渡る様になれば思考は更に動き出すのかもしれない。そして言葉って本当に大事だとも。自分への戒めとして。

えー、私は本日、人間の店員さんからその温かみのある器を購入致しました。土井義晴先生リスペクトなので、これで毎日食べるお味噌汁が更に楽しい時間になるような気がします。そしてお話を聞かせてくれた店員さんにもどうもありがとうございます:)

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