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怒りの月だった六月

下半期をスタートさせてふと先月六月を振り返ると、六月は私にとって怒れる月だった。

とにかく、怒っていた!

あまり周りにはそれを出さない様にしていたけれど、馬鹿正直だから伝わっていたかもしれない😥仕方ないな、、と思いつつ優しい方々に囲まれているので助けられています。

怒っていた理由はまあ色々とありその当時は混乱していましたが、今は少しだけ客観視できる様になった気がします。それはその怒りについて話したり、表現したりしたからです。

その怒りについて、話している時は無我夢中なのだけれど、誰かに説明するという行為をする事によって自分の中で客観が生まれ、そうしたら翌日、いつも感じていた怒りを違う方向から解釈する事が出来ただけでなく、この怒りを良い方向に活かしていこうとまで思えたから、拍手拍手👏👏👏


そんな感情の消化が終わったと思ったら今度は同じ日に2人から愚痴を聞いた(笑)私の怒りとは違うものだったけれど、不満とその思いの丈をぶわーーっと話し始めた。

なるべく中立的に返答できる様に心掛けて聞いていたら、ある事に気づいた、、。それは相手の顔が話せば話す度に違う表情を帯びてくるのです。

🧓👦👧

そのお二人はもともととても明るく気さくな方々なので怒りの消化もスピードが早かったのでしょうか。愚痴をある程度話したら憑き物が落ちたかの様になり、笑顔で帰っていった。

ああ、もしかしてこれって彼らが自分の事を客観視した瞬間だったのかな?と思った。


愚痴る前までは怒りでぐるぐるしていたけれど、その怒りを誰か(今回は私に)にぶつけて、自分とは感じ方が違う他者の反応を見たら否が応でも客観の眼を持ってしまう。

ちなみにその愚痴の内容は人間関係に関するものだった。私も知っている人の事を愚痴っていて、私としては「この人はあの人の事をこういう風に感じるのだな、私とは違う感覚なのだな」と思ったり。

この世で万人に好かれる人なんぞいない、そう思った。

私は昔々、誰かに嫌われるのが怖くて怖くて仕方がなかった。きっとその時私は世間の事をあまりにも知らなすぎたのかもしれない。勿論今でもその恐怖感を抱いたりすることもある。けれど、今こうして私も怒りを抱けているという事をきちんと認識できる様になったし、その自分の事も許せる様になった。だから、ちょっとは恐怖感は抜けたのではないだろうか。

怒りに怒りまくった六月を経て、今の私はどこにいるのかな?と考えてみるもポジションはちょっと不確か。けれど、その当時のことが遥か昔に思えるので少しは進んでいるらしい。

怒りも悲しみも喜びも十分にあっていい。一番いけないのはそれらをなかった事にしないことだ。

暑いのでどうぞご自愛ください。
良き文月の一日を!


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masumi
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