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こどもの頃、好きだった事

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子供の頃、好きだったことを覚えていますか?

私は子供の頃をおぼろげにしか思い出すことができません。きっと好きだった事は色々あったと思うのですが、大人になった今でもはっきりと覚えているのは好きな漫画の写し絵を描く事でした。

後はノートに延々と人の絵を描いていく。。色んなポーズだとか、手の描写を書いたものがノートいっぱいになると嬉しかったものです。


とにかく人(女の子)を描いていました。大人になった一時期もポートレートの様なものをスケッチブックに描いていたりして好きだったんでしょうかね。


でも、イギリスに留学して私が学んだものはいわゆるコンテンポラリーアートで、それはそれはワクワクするものでした。ちょっとした疑問や自分の考えを社会の動きと一緒に検証したり、リサーチしたり、とてもエキサイティングでした。


でもその傍ら、子供の時に描いていたような人の絵はすっかり描かなくなっていました。

それはただ単に“何かを見て描いたもの“、独創性があるわけではない。どちらかというと作品を作る前のドローイングとして準備段階に使う技法の様なものとして捉えるようになりました。


でも最近また少しずつ描くようになってきたのです。タブレットを使うようになってデジタル仕様で気楽に描き始めたという事もあります。

そしてそしてあることに気づきました。

それは


ただ見て描くこと(つまり模写ね!)を自分で制限していた!ことに!


これに気づいた時、正直びっくりしてしまいました。だって私ってば模写はクリエイティブじゃないと勝手に思い込んでいた。自分の頭から出したものやきちんと丹念に調べて昇華したものを世に出していきたいだなんて事を思いこんでいた。


子供の頃に好きだった事を大否定しているような感じ?じゃあないか。。!と何だか切なくなってしまいました。


なんでこんな事を考えたかというと、とある方がyou tubeで何か自分で自分に掛けている制限についてのお話をしておりまして

考えてみたんです。


私は何か自分に制限をかけているだろうか?

ちなみに布団の上にひっくり返って考えていた、のでそのうち寝てしまう。。😂その時一つ気づいて“はっっっっ“となったのですがそれはまた後日。。)


まあ模写も制限のうちの一つだったんです。ううむ。。大人になるにつれて、社会生活を送るにつれて、何かを学ぶが故、こっちの方が正解なんだ、という刷り込みに気づかずにここまできてしまった。

しかもそれって誰が悪いとかじゃなくて自分で選んでやったきた事です。


何だか目が覚めた気分です。


話はいっちばん最初に戻りますが、何がやりたいかわからなくなった時、子供の時に好きでやっていたことに立ち戻ってみると良いそうです。

私は立ち戻ってみたら自分で自分にかけた洗脳から目覚めることができました(ってそんな大袈裟な、と自分で突っ込んでみる)


でも思い込みって本当に色んなところに転がっているから、気づくと本当に見える世界が変わるのかもしれません。


正直な今の気分は“うおーーーーーーーー“と叫びたい気分です。だって制限から楽になったのだものーーーーー!


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masumi
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