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ありがとうって言われなくなること

お世話になっております。なゆたと申します。

先日、電車を利用して出かけることがありました。何年ぶりに電車に乗ったのか思い出せないくらい久しぶりでした。

あれはとてもいいものですねえ、居眠りしてしまっても無事故で目的地までたどり着けるなんて革命ですよね

あんなに革命乗り物だけど、バスやタクシーと異なり運転手さんにお礼を言って降りる文化ってないですよね。

操縦室が遠くて降りるときに前を通らないし会話チャンスにも恵まれないですしね、、


それだけ日常に溶け込んでいるということですかね

日常になっていると、いつも感謝していてもその気持ちを見落としがちになってきてしまいますよね、電車に限らずですが。

そういったものにも感謝の気持ちを持ち続けることはとても大切ですが、日常に溶け込むという意味ではそれを目指していかなければならないものもたくさんあると思います。


私が属している福祉業界もその一つではないかと思います。


障害者・高齢者・児童など福祉サービスを必要としている人の存在は社会の前提条件なはずなのに、それを受けることが難しい方もいらっしゃいます。


大学校時代に衝撃的だったのは障害者や高齢者をまとめて「社会的弱者」と括って話を進めていたことです。

足にタイヤも体にエンジンもついていない交通弱者の自分たちは電車やバスのおかげでごまかせているのに、、

足にタイヤも体にエンジンもついていないことが前提の社会だから公共交通機関を発達させて弱者を出さないようにしているのに、
障害者・高齢者の存在が前提なはずの社会なのにその方々は弱者と括られることに強い違和感がありました。

弱いのは当事者ではなく社会なのになああ、

社会自身の弱さを外在化しようとしているのかもしれません。
しかしこれは社会に強くなってもらうことが必要だと感じます。



社会が強くなって、障害者・高齢者も含め全ての人が生活しやすい環境整備をしていく必要があります


生活の当たり前の水準があがって、生活のしづらさが薄れていくことが素敵かなと思っています。


そして生活のしづらさ解消のための福祉サービスはいつしか生活の一部 当たり前の存在になり、気付いたらとなりにいるような存在になりたいです。


いつか福祉が電車のように、ありがとうを内包した存在になっていけたらいいのかなと思います。


誰もが当たり前に生活しやすい社会をつくっていきたいですね。


一人残らずやさしさを持ち寄れば少しずつ近づいていくような気がします。

何カ年計画になるかわかりませんが、苦しい思いをする人が一人でも少なくなるように頑張っていきます


よろしくお願いします。




とはいえ、ありがとうは伝えたほうがいいですよねえ😅

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