㉑不妊症『当たり前の幸せ・悦び』
震災後。
周りは徐々に
日常を取り戻し
半壊した店も
新装開店した。
私も
仕事を再開した。
パチンコ屋さんの
スタッフの子と
仲良くなり、
よく飲みに
行くようになった。
私は
不妊治療に
通っていた。
卵子を
キャッチする
卵管采
という部分が
機能していなかった。
黄体ホルモンも
平均値の半分以下。
坑精子抗体がある
免疫性不妊症。
自然妊娠は難しい。
体外授精
手術
勿論
そんなお金はない。
月一で
ホルモン剤を
注射しに通った。
太ももに打つ。
腕に刺すより
倍痛い。
そして
気持ち悪くなる。
一理の
希望を持って
タイミング法を
実践していた。
勿論
毎月のモノは
必ず来た。
リセット
という。
(少し遅れてる)
何日間か
期待する。
期待し過ぎて
リセット
した時は
全てが
壊された
気持ちになる。
同時にすぐ
(まだ時期じゃないんだ)
(赤ちゃん見付けられなかったのかな)
(今来ても早生まれに
なっちゃうから、後々よかった)
痛い
言い訳を
見付けていた。
パチンコスタッフの子には
子供がいる。
未婚の母だ。
彼女が
妊娠した
友人の結婚式に出て
その時
再会した
元彼との
子。
彼女は、
お腹が
目立ってくるまで
私には
言わなかった。
なんか最近誘って来ないな。
目も合わないな
と思っていた。
制服が入らなくなって
違うスカートを
履き始めてから
『妊娠してるの?』
と聞いて
「うん」
と言われた。
言いにくいのは
分かる。
私も
逆の立場だったら
言いにくい。
おめでとう!
と言って
祝福した。
その時期
不思議と
周りは
妊娠出産ラッシュだった。
いいなぁ。
私の
不妊症は
子供の頃には
分からない
生まれつきの
病気。
と、
思う事にした。
学生時代を
思い返してみると
……
思い当たる。
避妊具無しで
行為に及んだとしても。
「ちょっとヤバかったかも」
と言われた時も。
子供は欲しい。
可愛くて
大好きだから。
母や姉や兄に
見せてあげた時の
顔が見たかったから。
甥っ子の
可愛い
お下がりの
ベビー服を
姉が
取って置いていたのを
知っていたから。
自分の子供に
着せたかった。
そんな些細な
幸せも
悦びも
その時は
まだ
心の底から
望んでいた。