家主のいない退去
朝、家でパソコンに向かっていると表にトラックが止まる音がした。
ガテン系っぽい感じのおじさんの声。工事かな、聞いてないなって思ったら談笑と足音は裏庭に回ってきて勝手口のあたりで止まった。ウチは借りている部屋こそ戸建てだけど何軒かが集まるアパートで、裏庭は隣の棟の玄関にも面している。つまり誰でも入ってこられるのだ。
すぐ裏の部屋は住人がいない。わたし以外誰も用事がないはずの空間。気持ち悪いなって思っていたら、やがて勝手口のノブを回す音が響いた。
ギョッとして声が出なかった。ドアには鍵が掛かっている。テレビもラジオも電灯もついていない。息を殺してじっとしていると足音は表に向かって去っていった。
光が溢れる秋晴れの朝。空き巣にしては堂々すぎる。
また、表から談笑が聞こえる。ああ、こっちだわこっち。トラックのエンジンがかかり数メートル走ってまた止まった。どうしよう、外へ出て様子を見ようか。恐る恐る勝手口から外に出ると、今まさに隣の家の勝手口を開けようとしている男ふたりと目が合った。
「すんません、間違えちゃいました。すんません」
若いほうの男性が逃げるでもなくそう言った。目の前の女が何者か察したようだ。もう一人はまだ鍵をガチャガチャしている。それ以上声をかけるでもなく、わたしは呆然としたまま会釈し、また部屋に戻った。
洗濯が終わって外へ出ると、そのトラックはまだ止まっていて、荷台にはごみ袋がうず高く積まれていた。どうやら清掃業者らしい。トラックの横にはテレビと冷蔵庫が置かれ、今まさにありったけの家財を運び出そうとしているところだった。隣人の顔はよく覚えてないけど、そこにいるような感じでもない。そもそも家主がいるならば、勝手口を勝手に開けて入り込むようなことは無い。
暑かった今年の夏。夕暮れにその窓は開かれ、縁側には紺色の作業着が干されていた。いつも横に停まっている色褪せた軽自動車。姿は知らない、会ったこともない隣人の生活の匂いは、そこを通りがかるたびにわたしの視界に飛び込んできた。いつの日か、それが消えていたらしい。
単身赴任が解けて不用品を残したまま帰ったか、それとも。
身寄りがないまま帰らぬ人になったのか。
お昼すぎ、ブルーシートを掛けたトラックは談笑と共に走り去った。空け放された縁側の窓越しに、日焼けした空っぽの部屋が見えていた。