少しも似なかった園芸センス

母の住んでいたアパートは鉢植えだらけだった。単身用の広いとは言えない都営住宅のベランダに所狭しと植物を並べて毎年見事に花を咲かせた。葉物は根を分け、鉢を増やしてご近所さんに配っていたらしい。

入退院をするようになってからご近所さんに部屋の鍵を預けて水やりを頼んでいたようだけど、毎日というわけにもいかずに葉が枯れてしまうものもあった。アジアンタムなんて乾燥させてしまえばあっという間だ。あーあ、枯れちゃった。って思ったけど、次に来ると元通りのふさふさになっている。他の鉢も、ある日シナシナになっていても見事に復活していた。

母が亡くなって、ベランダの鉢植えはほとんど枯れてしまった。毎日行けるわけじゃないし地植えじゃないから仕方ない。弟は枯らすつもりで水をやっていなかったのかもしれない。でもよく見るとわずかに少し生きていた。アジアンタムに水をやってみると数日で小さな芽が出てきた。全部は無理だけど、この子だけと思って愛知のアパートに連れて帰ってきた。

ところが、毎日水をやっても全然元気にならない。ひょろっと伸びてきた新芽もすぐにしおれてしまう。なんか辛うじて生きているって感じだけどね。やっぱりダメかなあと思ったけど、母は確かにこの状態から元気に復活させていた。何が違うのか。センスの違いなのかもしれない。

わたしの園芸音痴、そもそも昔からなんだよね。学校の授業で植えたアサガオもひまわりも満足に育たなかった。幼稚園の芋ほり遠足ではひとつの芋も掘り当てられなかった(これは運だな)。思い出したよ。

間違っても農家に嫁いじゃいけないやつだ。


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