さようならの重み

日本人として日本で暮らしていると、わりと頻繁に「さようなら」という挨拶を耳にする。
社会人になった今でこそ、会社を上がるときには「(お先に)失礼します」と挨拶するけれど、小学校の頃は「先生さようなら」と言って帰宅した。「今日の日はさようなら」と歌にもあるように、なんとなく締めの挨拶的な、その場を去る的なニュアンスがあると思う。

わたしはスペイン語を話せないけど、”アディオス”という単語がさようならであることは知っていた。でも、今日なんとなく「アディオス」をググってみたらわりと衝撃の注釈を目にしてしまった。

”スペイン語のアディオスは今生の別れという意味があり、日本語的な感覚で用いると誤解を招く恐れがある”

つまり、また会うと確信できる相手には「さようなら」と言えないのだ。
恋人と別れる時も、親しい人と死別する時も、何事も無く帰宅するときも、すべて「さようなら」と言って済ます生粋の日本人には思いもよらないことだと思う。

考えてみれば当たり前の事だけど、言葉は文化を知ってこそ正しく理解できるのだと思った。



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