インドでカーストの概念がなくならないことについて
インドで働くようになってから、カースト制度について考えることがあります。
カースト制度とは、厳密には「ヴァルナ」「ジャーティ」という2つの身分制度を指します。
ヴァルナとは、元々はアーリア人がインドへ侵攻してきた際に、有色人種の先住民であるドラヴィダ族の人達と、白人系人種である自分たちアーリア民族を、肌の色で区別するために作り上げた身分制度です。
上からバラモン(司祭階級)、クシャトリア(王族・武士)、ヴァイシャ(農民・商人)は自分たちアーリア人、そして一番下のシュードラ(奴隷階級)はドラヴィダ人として、人間を4つの階級に分別しました。
(後に、これらの階級にすら属せない、「不可触民」という人々も出てきます)
それに対し、ジャーティとは、職業毎による身分制度を指します。職業はかなり細分化されており、数は数千にも及びます。基本的に職業は世襲制で、選択の自由はありません。
また、異なる身分同士での結婚の禁止や、食事の際の同席の禁止など、文化や生活形態を制限するものでもあります。
しかし、インドではすでにカースト制度による差別は禁じられています。都市部ではインド人同士でもカーストの話題が挙がることはほぼありません。
では、カーストの概念ももう完全に消え去ったのか?
私の意見では、まだまだ根強く残っていると思います。
ほとんどのインド人には、未だ「自分はこのカーストの人間」「あの人は自分よりも上で、あの人は下」という意識が絶対にあると思います。
なぜ、カーストの概念がいつまでも消えないのか?
それは、カースト制度は長い間ヒンドゥー教の思想哲学の中心として、重要な位置づけであったためです。
カースト制度、インドでの呼び方は「ヴァルナ・ジャーティ」ですが、これはヒンドゥー教における絶対的な概念『輪廻転生』と深い関係があります。
ヒンドゥー教では、生命は何度も生まれ変わり、自身の行い(カルマ)によって、来世が決まる、という哲学的思想が根本にあります。
そのため自分の今のカーストは、前世での行いによるものであり、今のカーストを受け入れ生き抜くべしと教えられるのです。
カースト制度は、昔からヒンドゥー教の輪廻転生の宗教観によって重要な意味を与えられた原理であり、あまりに宗教――言い換えれば、彼らの日常生活――と深くつながり過ぎています。そのためヒンドゥー教徒にとって、その概念は切っても切り離せないのです。
また、生まれ持って職業が決まっていることは、一見可哀想な人生に思えますが、本人にとっては、同じ職業コミュニティに属するための、一種のアイデンティティのようなものでもあります。
私の会社のインド人は、自分のデスクに水をこぼした時、わざわざ掃除係の人を呼びつけて、拭かせていました。
私からしてみれば「自分がこぼしたんだから自分で拭きなさいよ」と思うのですが、インド人の考えでは、「この仕事は私、あの仕事はあの人」というように、他人の仕事へ踏み込むことを避けるルールがあるようです。
別のインド人によると、「彼の仕事を奪うことになるから、彼にさせないといけない」という話を聞きました。
日本人の私には理解が難しいところですが、インドでは個人個人が自分の職業を持ち、それがアイデンティティの一つなのだから、仕事を奪ってはならない、という考え方のようです。
最初はカーストを正当化するためのただの言い訳やん、と私は思っていました。
しかし、そもそも私達日本人が、本当の意味でカースト制度の概念を理解するのは難しい、と聞いたことがあります。
外の人間からしてみれば、確かにカースト制度は差別や格差を助長する、悪しき制度ですが
一方で、職業や生活、アイデンティティを共有することで、人同士のつながりが生まれ、それぞれの集団で生活基盤を築いていく。そういった面もあります。
もしかしたら、同じ都道府県出身のコミュニティや、卒業大学の同窓会など、そういった集まりと近い感覚なのかも知れません。(かなり極端な例ですね・・・良い例が見つかりませんでした)
私はインドに来る前は、カースト制度は人間を差別する悪い風習だとしか思っていませんでした。
しかし、実際に自分がインドで暮らしてみると、カースト制度がなかったら、この国の社会は崩壊していたんじゃないか?と思うことがあります。
インドは今13億人の人口を抱え、半分以上の国民が貧困層の人達です。
この長い歴史の中で、底辺の身分の人達が、貧富の差に異議を唱えてあちこちで暴動やデモを起こしていたら、国は統率できていなかったかも知れません。(そもそも、数が多すぎますから)
皮肉ではありますが、カースト制度が国民に深く根付いていたからこそ、皆今の自分の人生を受け入れ、社会が成り立ってきたのはないかと私は思います。
身分制度を擁護するつもりは全くありません、でも、カーストの概念は、外国人の理解には到底及ばない程、インド社会に深く根ざしている原理なのですね。