阿弥陀如来について
【阿弥陀如来】
阿弥陀如来は、日本には、奈良時代に伝えられました。そのモデルは、インドの国王だとされています。阿弥陀如来は、菩薩時代、法蔵菩薩と名乗っていました。その師とされるのが、世自在王如来です。悟りを開いてからは、阿弥陀如来が、全ての仏の師匠となりました。大日如来、薬師如来、釈迦如来なども阿弥陀如来の力によって悟りを開いたとされます。そのため、根本の仏とされました。阿弥陀如来は、時間的にも、空間的にも限りがありません。また、永遠の命を持つ者とされるので「無量寿」と呼ばれました。阿弥陀如来は、本質的には、宇宙そのものである大日如来と同一だとされています。
【容姿】
本来、仏とは、人間の理解を超えた存在なのです。そのため、その姿を見ることは出来ません。阿弥陀如来像は、それを人々にわかるように、あえて人間的に表現しています。そのため、一つの顔と二本の腕と、きわめて人間に近い容姿です。また、装身具をつけない質素な服装をしています。その服装は、相手に敬意を表す「偏祖右肩」です。偏祖右肩「へんだんうけん」という服の着方は、右肩をあらわし、左肩のみを袈裟で覆います。 阿弥陀如来の頭のてっぺんにあるこぶのような盛り上がりは「肉髻」と呼ばれるものです。肉髻「にっけい」には、智恵がつまっています。その他、阿弥陀如来が、智恵に優れていることを表すものが「螺髪」と呼ばれるパンチパーマのような巻き毛です。 阿弥陀如来が、深い瞑想に入った時は、禅定印「ぜんじょういん」という形に指を組みます。 禅定印を組んでいる阿弥陀如来で有名なのが、鎌倉の大仏です。
【無限の光】
阿弥陀如来は、サンスクリット語で「アミターバ」と言います。アミターバとは「量り知れない光を持つ者」という意味です。無限の光を放ち、それが届かないところがありません。阿弥陀如来の光とは、知恵のことです。その光は、阿弥陀如来の「白耄」から放たれいます。白耄「びゃくごう」とは、眉間にある珠のことです。それは、白く長い毛が渦を巻いたもので、それが右に旋回して光を放っています。
阿弥陀如来の光は、光線として表現されました。その光線の数は、48本とされています。48本なのは、阿弥陀如来の大願の数だからです。阿弥陀如来は、菩薩の時代に、長い時間をかけて、48願という誓いを立てました。その18番目の願いが、本願だったとされます。本願とは、人々を救おうとする願いのことです。18番「おはこ」という言葉も、そこから来ています。阿弥陀籤も、阿弥陀如来の放射線状の光線が、籤の線に似ているから、そう名づけられました。
【浄土教】
阿弥陀如来は、浄土系の仏教で篤く信仰されています。浄土系とは、浄土宗や浄土真宗のことです。特に、浄土真宗では、阿弥陀如来だけを本尊としています。本尊とは、仏教の信仰の対象となるもののことです。浄土教は、武士や農民などを中心に支持されました。たとえ殺生した者でも成仏できると説いたからです。
浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるだけで、死後に極楽浄土に往生出来ると説きました。それを「称名念仏」と言います。南無とは「信じます」や「任せます」という意味です。つまり、南無阿弥陀仏とは「阿弥陀如来を心から信じます」ということになります。浄土系の仏教は「他力本願」です。他力本願は、現在では「他人任せ」という意味でよく使われています。しかし、本来は「阿弥陀如来の力によって救済される」という意味です。
【極楽浄土】
如来は、自らの浄土を建設することを目標としています。阿弥陀如来も西方に極楽浄土を作りました。浄土とは、苦しみがない理想の国土のことです。阿弥陀如来は、自分を信じる者は、全て極楽浄土に往生させると約束しました。極楽浄土は、妙なる音楽が流れ、諸々の楽しみで満ちています。そこには、鳥たちが囀り、穏やかな微風が吹いていました。極楽浄土の景観は、見事な配置です。七宝の池の底には、金の砂が敷き詰められ、大きな蓮華や、宝で飾った並木がありました。阿弥陀如来が、人々を極楽浄土に迎える時「来迎印」という手のポーズをとります。この来迎印「らいごういん」をとる仏像で有名なのが牛久大仏です。
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