七福神の布袋
【契此】
布袋さまは、七福神の一人です。そのため、よく縁起物として飾られています。その温和な人柄から「幸福」の神様とされました。特に「商売繁盛」「子孫繁栄」「無病息災」などの御利益があるとされています。また、そのユニークな姿は、よく禅画や水墨画などの題材にされました。
布袋は、中国の「契此」という禅僧がモデルです。七福神の中では、唯一の実在の人物とされています。契此「布袋」は、中国仏教の主流とされる禅宗の僧です。そのため、日本では、中国風の禅寺である萬福寺で祀られました。
契此「かいし」は、背が低くて肥満体型だったとされています。「布袋腹」とは、契此の大きなお腹から出た言葉です。そのふくよかな体型は、豊かさの象徴とされています。それ以外の身体的な特徴は、大きな福耳です。布袋は、きわめて温和で、素直な性格だったので、人々から親しまれました。また、特定の住処を定めず、あちこち泊まり歩いていたともされています。
【占い】
契此は、冬でも裸で過ごす、きわめて風変わりな人物だったとされています。不思議なことに、彼がいた場所だけ雪が積もりませんでした。契此には、死後もさまざまな場所で目撃されたという伝説があります。また、人の将来がみえるという予知能力があったので、占いを得意としていました。契此は、吉凶や天候などを百発百中で当てたとされています。布袋が持っている軍配は、その占いに使うためのものです。
【堪忍袋】
布袋は、大きな「頭陀袋」を持っていたとされています。頭陀袋とは、僧侶がよく使うものです。通常、頭陀袋には「喜捨」されたものや、日曜品が入っていました。喜捨「きしゃ」とは、喜んで施しをすることです。布袋は、仏教では禁止されている生臭物でも受けとっていたとされています。布袋の袋は、施しものによってどんどん大きくなりました。その大きな袋は、布袋の心の広さの象徴だとされています。「堪忍袋の尾が切れる」の堪忍袋は、布袋の袋のことです。通常、その言葉は、我慢の限界という意味で使われます。堪忍袋には、人々に分け与える幸福が詰まっていました。そこから、貧しい人々に、必要な物を分け与えていたとされています。
【弥勒菩薩】
中国の元明時代以降、布袋は、弥勒菩薩の化身とされました。弥勒菩薩は、サンスクリット語で「マイトレーヤー」と言います。マイトレーヤーとは「慈悲」という意味です。弥勒菩薩は、未来において仏「如来」になることが約束されていました。現在は「兜率天」という天界で、説法をしながら待機しているとされています。兜率天には、弥勒菩薩のような修行者が住んでいました。弥勒菩薩が生まれるのは、お釈迦様の時代の後だとされています。その釈迦様に、救われなかった人たちを救うのが弥勒菩薩です。弥勒菩薩は、とても慈悲深かったので、布袋と同一視されました。一説では、布袋「契此」が、死ぬ間際に、自ら弥勒菩薩の生まれ変わりだと告白したとされています。
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