出会いと別れの一年
もうすぐ2024年が終わってしまう。
明らかに私が生きてきた中で一番大変だったし、きつかった一年。いろんな感情が盛り沢山だった。
まずは、学生を卒業して新社会人になったこと。そして四年間付き合っていた彼氏と別れたこと、なんだかんだでやっていけると思っていた会社を半年で辞めたこと、新しい仕事を自分の力でやろうと厳しい道を選んだこと。。
私はここまで紆余曲折はあったにせよなんだかんだで新社会人まで順調に進んできていたから、一年前の私が今の私を知ったらきっとびっくりすると思う。
一つずつ振り返っていこうかな
①学生を卒業して新社会人になったこと。
今思えば、社会なんて何一つわかっていなかった私が初めて逃げずに自力で超えた壁だった。
嫌なことがあると逃げ道を探しちゃう性格だから、生きていくってそんなに甘くない、生きていくって我慢なんだって思い込みながらがむしゃらに新卒社会人をこなしてるつもりだった。
どんなに辛くても、上司と話す楽しさ、お客様とたわいもない話をする瞬間、先輩と何気ない会話でだんだん仲良くなっていくあの感じ。。これがやりがいだったし、楽しかったから続いてた。
②四年間付き合っていた彼氏と別れたこと。
元々同い年で地元が同じで、小学校から友達だった人と一度は離れたけどまたよりを戻して、学生生活の半分と社会人はその彼氏と付き合っていた。
遠距離だったけど、久しぶりに会える日が楽しすぎて、会えたらずっと話していれるくらい楽しかったしかけがえのない存在だった。し、今まで付き合った人たちの中で、初めて私という人を心から好きになってくれた人だった。そんな彼に私は何も隠さず居たいって思っていたから、本当にありのままの私でいた。めんどくさがり屋だし、すごくネガティブだけどそんなところも好きでいてくれたから一緒にいてすごく心地よかった。
けど社会人と学生であるが故に生まれる価値観の違いという壁を、私たちは越えられなかった。私は特に労働時間が半端ない社会人をやっていて、彼は時間がたっぷりある大学4年生。遠距離の私たちは連絡を取る時間も合わなかったし、会うこともできなかった。これが一番の別れるってなる原因だったなと思う。単純にコミュニケーション不足だった。
あとは、お互いにお互いの存在が当たり前になりすぎてしまった。好きって感情とは少し違う感じで、本当に家族みたいな、、。お互い守るべき人だし、当たり前にいる関係。これってすごくいいことだなって思うけど、私たちはそこの考えも遠距離のせいですれ違ってしまった。
私たちのことを知っている同級生はもちろん、お互いの家族全員が結婚するって思っていたと思う。表から見れば落ち着いていたしそんな感じに見えたのかもしれないけど、実際はちょっとずつみんなの見えないところでヒビが入っていたんだよね。私たちの中では少しずつ気づいていたけど、気づかないふりをしていたかもしれない。
③会社を半年で辞めたこと
多忙な中、彼氏との別れを決意して私にはもう仕事しかない!!って思っていつも以上に頑張った。朝は10時に出勤して帰りは23時半。お昼休憩は取れないくらいに仕事をしたし、ご飯も一日一食しか食べる時間がないくらいだった。帰ってからも仕事に追われて寝れず、一日の睡眠時間は二時間、、。
気づいたら心がボロボロになってた。
私は勘がいい方だし、体力もあると思ってた。けど、実際はそうでもないみたいだった。
上司からはすごく期待されて、失敗することができない恐怖心と、大好きな先輩が、私を褒める上司から毎日怒られていて、失敗したら私もあんなに怒られるのかという恐怖心を抱えながら仕事をしていた。
家に帰ったらほぼ毎日涙が出てきて、寝たらまた朝が来て1日が始まるのが怖くて寝れなくて。上司のためにしている仕事ではないのに、自分はどうなってもいいからとにかく上司を怒らせないように仕事をするようになっていた。そんな違和感にも気づけないまま体が追いつかなくなって倒れた。
鬱だった。ボロボロすぎた。何を話しても涙が止まらなかった。私、こんなに自分を犠牲にしてたんだ、どんな時も自分のことは大事にしていた私が、自分のことを労わりもせずに過ごしていたんだって初めてそこで気づいた。
そこからは二ヶ月半休職をして今まで休めなかった分、ひたすら休んだ。実家にも帰ってリフレッシュしたし、大好きな友達にも沢山会った。
④新しい仕事を自分の力でやっていこうという決意
沢山休んだ私は、仕事人間だった。今までの私だったら一日何も予定のない日がほしいって思っていただろうけど、何も仕事をしない日が辛かった。
『みんなは頑張っているのに、私は頑張れない。』こんな感情が私を邪魔していたし、落ち込む原因の一つだった。
けどそんな時に元々バイトをしていたアパレル会社から、一緒に仕事をしたいと声をかけてもらった。すごく嬉しくて、即決で仕事をしようと決めた。けど医者からはまだ治っていないねと診断されて、すぐには完璧な仕事復帰ができないと思ったから、私はフリーランスになって仕事をすることを決意した。
フリーランスだったら、今までやりたかったけど時間がなくて挑戦できなかったこと、今まで少しずつやっていたけど忙しすぎてできていなかった自分のハンドメイドブランドのこと、そんなことを自分のペースでやることができると思った。
他にも取引会社として、大好きだった元バイト先と仕事ができて最高だと思った。最初は生活も大変になるだろうし決して楽ではないけれど、大好きなファッションの道でもう一度仕事ができることが嬉しかった。
前の会社はすごく萎縮された環境で自分には合わなかったけど、半年働いただけなのに確実なスキルを身につけられたし、あの環境がなければこんなに急成長もできなかった。今の取引会社からもこの成長がなければ絶対に声はかからなかっただろうし、そんなことを思ったら私は幸せな環境にいたんだなと思った。
またさらにレベルアップしたい。そんなことを思いました🙂↕️💪🏻
今もまだ人よりも情緒不安定になりやすかったり、時々寝れない日があったりするけれど、もう自分をあんなに傷つけたくないから自分のスピードで頑張っています!
あの時沢山話を聞いてくれた私の友達たちには感謝しかないです。
本当にありがとう。
その中でもちょっと会っただけなのに必ず「体調は大丈夫??」って聞いてくれる友達が私は大好き。
本人は無意識で聞いてくれているのかもしれないけど、いつもその気遣いに助けられているなとこないだ会った時に実感した。
もっと壮絶な人生を送っている人なんて山ほどいるだろうけど、そんな人にもまず自分を大切に生きてほしいなって思います。
おしまい。