"バンド"を捨てたバンドはどこへ向かう?
こんにちは。暇じゃない暇人です。今回は勢いで書いた記事なので雑な部分等も多々あると思いますがご容赦ください。
先日RADWIMPSのギタリスト・桑原彰のバンド脱退が発表されました。彼のマスロック的な風味も感じさせるテクニカルなギタープレイこそRADWIMPSの個性となっていたのは確かだと思いますし、Mrs. GREEN APPLE「ライラック」など現在のロックバンドにも多大な影響を与えた存在なだけに残念な気持ちが大きいところです。個人的にも愛聴していたバンドなのでショックですね。
彼の脱退時にファンらの間でトピックとなっていたのが「バンドとしての崩壊」というキーワード。ある程度RADWIMPSの音楽に触れたことがあるリスナーなら分かることかと思いますが、2010年代の後半ごろを境に彼らの音楽性は大きく変化。ピアノやストリングスを大胆に導入した所謂王道J-POP的な楽曲の傾向が増加し、そしてライブ活動の停止を余儀なくされ、桑原自身のスキャンダル等でバンドが崩れかかっていたコロナ禍ごろからヒップホップなどを取り入れた音楽性へと変化していき、RADWIMPSの大きな個性だったリフやギターサウンドは減退していった、という印象を受けます。
彼らの目下最新作である「FOREVER DAZE」を聴くと、かつてバンドサウンドの全てを押し退けるかのように展開されていたギターはその鳴りを潜め、ヒップホップやバラードへと傾倒した曲が並ぶ一枚に。正直野田洋次郎以外のメンバーのこのアルバムにおいての貢献、これを野田洋次郎のソロ名義ではなくRADWIMPSとして発表することなどの意義が見えづらい状況へと変化してしまったわけです。
アーティストが作品を作り続けるにおいて音楽性が変化することは当然の現象ですし、彼ら以前や以後においても数多のアーティストが音楽性を変化させながら音楽活動を行ってきたわけですが、それの明暗を分けているものは一体何なのか。今回は何枚かの作品をピックアップしながら、アーティストの音楽性の変化について考えていこう、といった旨の記事になります。
まず最初に取り上げたいのは邦楽ロック97年組の一角・スーパーカーが2002年に放った4thアルバム『HIGHVISION』。デビュー作の『スリーアウトチェンジ』ではこの上ないくらい若々しいギターロックを聴かせていた彼らが、プロデューサーに砂原良徳を迎えてエレクトロ・テクノサウンドに振り切った一枚。彼らの最高傑作という評価も名高い一作です。
結果としてこのアルバムなどで見られたサウンド重視・歌詞重視という視点の相違が引き起こす対立によってバンドは崩壊していくわけですが、それでも彼らは崩壊のさなかに名盤と呼ばれ続ける作品を作り上げた。それは後期スーパーカーが先述した対立のうちナカコーやフルカワミキらが主張していたサウンド重視の方向性に舵を切ったものの、歌詞を重視したいしわたり淳治が自身と逆の方向性の中でもその存在を主張したのが大きかったと思うんです。後期の代表曲「Strobolights」で残したこのフレーズはあまりにも印象的。
歌詞をサウンドの一部として取り込もうとするバンドの方向性の中で、彼がそれに抗うかのように言葉の羅列に意味を持たせようとしたその形こそがこのアルバムを名盤たらしめる要因である、と僕は考えています。これはワンマンバンド的な編成でないこの役割分担だからこそ取ることができた手段ですが、音以外の部分でバンドの持ち味を残しつつサウンドを進化させたのが彼らが神格化される所以なのかな、と思います。
そしてこれを経てリリースされた『ANSWER』。前作で追求したエレクトロサウンドとロックサウンドを融合させつつ、サイケ的な風味も盛り込んでバンドで表現してみせた一枚なのです。バンドを崩壊させるレベルでの音楽性の変化をバンドの形でまた作り上げてみせた今作、個人的にはこのアルバムがスーパーカーの最高傑作である、と思っています。思い入れ等も含めれば『スリーアウトチェンジ』を挙げたくなるところですが、作品の完成度としては間違いなくこちらでしょう。結果としてバンドは終焉を迎えるわけですが、少なくとも彼らは最後までバンドであった、という証明の一枚です。
次に取り上げるのはサニーデイ・サービスの大作『Popcorn Ballads』。ドラマー丸山春茂が体調の問題でバンドを離脱し、バンドとしての形が崩壊する中で制作された本作は、フロントマンの曽我部恵一がほぼ宅録で制作したというバンドとしては異色の形を取る作品。音楽性においても日本のフォーク、再結成後にはシティポップなどの影響を受けていたサウンドを展開していた彼らが、いきなりヒップホップやファンクなどブラックミュージックの影響を受けた作品をドロップという大問題作に。若い音楽ファンなどから大きな支持を受けるも、昔からのサニーデイファンは困惑するなど大きく評価が二分される一枚となりました。
そして彼らはそこから一年足らずで更なる問題作をドロップ。前作の要素のうち、ヒップホップに焦点を当て更にトラックメイキング的な側面が増した『the CITY』です。今作では多くのトラックにゲストのラッパーを迎え、曽我部恵一とラップの掛け合いをするなど "サニーデイ・サービス" のバンド像は完全に崩壊。この後リミックス盤『the SEA』もリリースするなど徹底的にサニーデイの形を破壊した一枚でした。
しかしここまで破壊されつくしたバンドがバンドとしての形を保ち続けていたのはなぜなのか。その答えはライブです。
この二枚と『DANCE TO YOU』からの作品のみを披露するライブの模様を収録したライブ盤『DANCE TO THE POPCORN CITY』。今作では曽我部恵一が部屋で一人で作り上げたサウンドを完全生音のバンド演奏で披露。冒頭の「泡アワー」から音源での質感を覆すような猟奇的サウンド。音源としては存在価値を失っていたバンドとしての形をライブという場所で生々しく使うことで、彼らは音楽性の深化とバンドとしての形をどちらも手にする道を選んだわけです。
続いてはGalileo Galileiの2016年作『Sea and the Darkness』。こちらは前述した二組と異なり自身の標榜する音楽性と世間の評価の乖離に悩まされた例ですね。活動中期、アルバム『PORTAL』の時期から海外インディーの影響を色濃く受けたサウンドを展開してきた彼らですが、パブリックイメージや世間のファンが求める音楽は『パレード』期のようなギターロック。実際今彼らの作品を順番に追うと『パレード』から『PORTAL』でのサウンドの変化はかなり劇的なもの。結果としてバンドが標榜するアダルティなバンドとしての音楽性とパブリックイメージの乖離に窮屈さを感じバンドは活動終了の選択をします。バンドの進化の方向性も凄く良い成長曲線であったものの、リスナーがそれについていけなかったという形でした。
その後彼らはBBHFの活動も行いながら、6年の時を経て活動を再開。活動再開後にリリースされた『Bee and the Whales』では彼らの追い求める音楽性を伸び伸びと追い求める姿が記録されています。止めざるを得なかったバンドの歴史が再び、更にパワーアップして動き出した喜びが詰まった一枚です。そこから約1年半でアルバム2枚同時リリースなど更なる創作意欲を見せているのも嬉しいですね。2枚とも新たな地点への挑戦とバンドの持ち味を活かした世界観に溢れていて素晴らしかったです。
Mr.Childrenの2012年作『[an imitation] blood orange』です。まあこのアルバムについてはミスチルファンの中でも駄作と言われる機会が多い一枚ですが…。今作が失敗作と言われる所以はやっぱりバンドサウンドの喪失、という一点に尽きます。バンドとしてのアイデンティティと王道J-POPとしてのバランスを活動の大きな軸としていた彼らですが、2005年の「I Love U」以降プロデューサー小林武史のサウンド面での介入が以前にも増して多くなり、ピアノとストリングスによる展開の比重が増えたことによりロックバンドとしてのミスチルのサウンドが完全に失われてしまったのがこの一枚なんですね。前作『SENSE』では「I」など攻めたモードでの作品も見られたのですが、今作は東日本大震災の影響を受けてかソングライティングにおいても棘を失ったような状態に。
こうしてバンドとしての形が崩壊していたミスチルですが、彼らが優れているのは自身の力で軌道修正を図れること。小林武史の手を離れ、セルフプロデュースでバンドサウンドを強く打ち出した『REFLECTION』でバンドとしての復活を宣言し、その後も『重力と呼吸』『SOUNDTRACKS』と4人でのサウンドを色濃く聴かせる名盤を連発。これ以前にも『Q』で過剰な実験精神に走りそうになった次の一手が『IT'S A WONDERFUL WORLD』だったり、『HOME』『SUPERMARKET FANTASY』という世間に寄り添ったアルバムの後に挑戦的な一面も含む『SENSE』を出したりと彼らは軌道修正が上手なバンドであるわけです。
ミスチルに関してはこのアルバムについても話をしたい。2023年に放たれた最新作『miss you』です。こちらもバンドサウンドという地点からは大きく離れた一枚ですが、ミスチルのリスナーからも外部のリスナーからも高評価を受ける作品となりました。それはインディーフォークなどの影響を受けたサウンドを打ち出した今作が前述したバンドサウンドの喪失ではなく、バンドサウンドの自信を取り戻したからこそ作れる一枚でそのアンサンブルをオルタナティブに拡張したサウンドである、というのが大きいと思います。ミスチル作品では異色な展開を織り込みつつ4人のプレイは見えるように、という塩梅のつけ方が絶妙であること、バンドのキャリアと向かったサウンドの年齢感覚が見事にマッチしたこと、等様々な要因が絡み合って他に類を見ない生々しさを手にした一枚です。「アート=神の見えざる手」のような楽曲がちゃんと今作の中でも異色の立ち位置なのも構成の上手さが出てますね。あくまでミスチルは桜井和寿の歌のバンド、という姿勢が異色な世界観の中で一貫しているのが今作の良さだと思います。
最後に取り上げるのはONE OK ROCK。2018年発表の『Eye of the Storm』です。こちらのアルバムも発売時のレビューは真っ二つに分かれるなど物議を醸した一枚でした。それもそのはず、これまでラウドロックを標榜したメロディックなバンドサウンドを聴かせてきた彼らが、いきなりEDMなども取り込んだデジタルな音像を繰り出してきたのには困惑するのも無理はないでしょう。今作の少し前あたりから彼らは海外進出に力を入れだしており、今作はその当時の洋楽に接近したサウンドクリエイトを目指した一枚、といった感じ。バンドとしてのワンオクは終わった、と語るファンもいたという記述も残っています。ただこのデジタルなサウンドメイキングとロックバンドとしての壮大さの融合を模索している課程が感じられ、バンドとしての機能を停止したような感じではない、というのは大事な点。
そしてこれを経て彼らが辿り着いたのが2022年の『Luxury Disease』。タイトルからして彼らの代表曲「ゼイタクビョウ」を感じさせ、結果として王道のロックバンドのサウンドに回帰したような作品となりました。彼らが最も良さを発揮できるのは「Nicheシンドローム」のようなエモ・ポップパンク的な路線だと思うので、どちらにせよ自分の求めているワンオクとは別の方向に進んでいっているわけですが、個人的にはこの二枚はどちらもそこまで否定的に捉えている、というわけではなくて。洋楽ポップに接近しながらバンドとしてのダイナミックさを模索した『Eye of the Storm』、その経験を活かしスタジアムロック然とした力強さを見せた『Luxury Disease』とバンドの成長としては凄く綺麗な進み方をしている二枚だと思うんですよ。バンドを捨てた、という評判の中で彼らはバンドとしてのパワーアップをしっかりと手にしていた、というわけです。
というわけで、バンドの音楽性の変化、というトピックについて五組のバンドを挙げて話をしてきました。バンドという形式を崩して新たな表現を追い求めてきた彼らには、そのバンドという繋がりが崩壊したものもあれば、再びバンドとしての形に回帰したもの、新たな表現をバンドが飲み込んだものなど様々な形がありますね。今回は触れなかったけれども、アルバムごとに表現スタイルをガラッと変えつつバンドとしての核は失わないまま長いキャリアを歩み続けているGRAPEVINE、くるり、BUCK-TICKのような存在もいるわけですしね。
冒頭にも触れたRADWIMPSですが、ここ数年での作品は今回の記事でスポットを当ててきた「バンドとしての崩壊」という状態にあることは間違いないでしょう。様々な要因も重なり、結果として桑原彰の脱退という状況も引き起こしてしまった。
だからこそ、ではないですが彼らがこの後どのように変化していくかに注目したいんですよ。今回取り上げたバンドもこの崩壊を経てバンドが再生していく、バンドとしてあろうとするプロセスを見せてくれた。ギタリスト脱退という大きなダメージはありますが、野田洋次郎がソロアルバム『WONDER BOY'S AKUMU CLUB』をリリースしたからにはバンドとしての音楽と彼個人の追求、という音楽性の相違に区切りをつける、ロックバンドのフロントマンであるという矜持を見せると期待しているんです。RADWIMPSがこれからバンドとして再生するのか、更に破壊を進めていくのか、そのどちらかは分かりませんが、彼らのこれからの音楽に期待を込めて今回の記事の締めとしたいと思います。
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