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第十五回ヒマラヤなんちゃって句会     「ヒマラヤ地」発表!!


Twitter@himahira19で行っていた句会の結果発表の三日目です。

腰が痛む中、今度は風邪をひきましてもうボッロボロです。
もう笑っちゃいますねー毎月毎月計画的に句会などに参加しているのに、
締切に全力で追いかけられてて、これって充実してるって言う事でしょうかね。しんどいですけどストレスではないのが不思議・・・。


精魂込めて感想文書きました!「ヒマラヤ地」はこの四句です!!



雪晴れの喉の震えやサッポロペッ 阿部八富利


以前同じ職場にいたおっさんは、やたらそこらじゅうで唾を吐く人でした。
何度止めてもやめず、配達先のお客さんの会社の敷地内でもペッペするものですからとうとう目撃され当然のようにクレームになり、大問題となってしまいエライ人にわんわん叱られているおっさんを見て、ああにはなりたくないと思ったものです。
「サッポロペッ」の「ペッ」とはそういうことなのでしょうか?
長渕剛の曲的な世界の作中主体が、故郷の「サッポロ」にいい感情がなく、思わず唾を吐くという辛い心情を吐露した句なのでしょうか?
季語の「雪晴れ」が皮肉なほど眩しい・・・のかしら・・・?
サッポロの語源は、アイヌ語で「サッ」が「乾いた」、「ポロ」が「大きい」、「ペッ(ベッ)」が「川」で、「乾いた大きな川」という意味の
「サッポロペッ(ベッ)」に由来するといわれる。ということでした。
これは生粋の東京っ子にゃわからんかった。
地元の方にはおなじみの愛称というくらいなら、うっすらでも聞こえてきそうなのですが一切聞いたことがなかったので、地元の方でも知る人ぞ知る呼び方でしょうか?古代札幌人の愛称?それを若い人が面白がって使い始めているとか?いづれにせよ郷土愛的なものを感じさせます。
こうして見てみると「サッポロペッ」の響きのなんとかわいらしい事よ!
この句の見方が180度かわりました。「サッポロペッ」に帰郷した作中主体は、喉を震わせるくらいに叫ぶのか感動しているのでしょか。そしてなんといっても季語が「雪晴れ」ですよ!
「サッポロペッ」に突き抜けるような青空のなんと清々しいことよ!
北海道のカラッとした風が吹いてきたような気分です。おお冷たい!
しばれるけれど、作中主体の歓喜の気持ちが、気持ちよく表れていますね。


北の空を泳ぎすぐ死ぬ雪虫 山川腎茶


季語「雪虫」。これは聞いたことはあっても実際見たことはありませんでした。調べてみると言い得て妙というか、本当に雪のような虫でした。
彼らの平均寿命はなんと一週間!俳句ポストの結果発表が始まって、特選までが発表され、反省会を終えた頃にはもう死んでしまうのです。
ボクが「ヒィィ並だー!」「こんなん詠めねえよ」と言ってる間に彼らは青春を謳歌し、恋をして、子孫を残し、次世代に託してゆくのです。
まるで淡い雪のような一生・・・と一匹二匹なら思うのですが大量発生しているのを見ると恐ろしい光景です。そんなところも本物の雪のようですね。
この句の言うように、関東でも見ないことはないらしいですが、「北の空」で人生を「泳ぎ」ます。彼らの淡すぎる一生をあっさり「すぐ死ぬ」と言い切ってしまうところが、なんとも「雪虫」のあっけない一生を言い表してるようです。あえて「すぐ」というのは、それを見ている人間の目線であり、
彼らは決して「すぐ」なんかではないのです。宇宙目線から見た人間はあっさりに見えるみたいなことでしょうかね。
東京では雪が降ってもあっさり溶けてしまうことがほとんどで、この句はひょっとしたら「雪虫」をベースに雪の淡さを詠ってるのかもしれませんね。
全体的に破調で不穏を感じさせるところや、「すぐ死ぬ」と突き放したような措辞がなんとも冬っぽさ、雪の淡さも感じます。
写真で見る限り、一匹だけなら「雪虫」もかわいいですけどね。


兵馬俑めく雪原の木立かな 濃厚エッグタルト


「兵馬俑」って中国の政治家とか、偉人かしら?と思って調べてみました。
簡単に言うと、日本で言うところの「埴輪」中国バージョンのようです。
半分当たった!
むかしの権力者は死んでも仕える人が欲しい寂しがり屋ちゃんが多いようで、死んだ権力者と一緒に生き埋めされる人もいたとか。
さすがにそりゃ気の毒だという事で「埴輪」を埋めることにしたらしいですけど、中国でもそういう文化があったみたいですね。
しかし「兵馬俑」を知れば知るほどこの句はすごいんです。
八千体ほど発見されたらしいですけど、どれもこれも同じ顔のものがないとか、それなのに全部敵国の方を向いているとか言うものらしいのです。
「雪原の木立」が冷たい風を受け、葉っぱを落とされ枝となっても、木立一本一本は種類も違うものもあればすべて違う枝っぷりであって、そして静かに春を待ち、春になれば夏を待ち、夏には秋をそして秋には冬をひたすら待つ「木立」たちは、風などの災害から人間を守るために、動物たちの営みのためにそこにいるのです。まさに主君を守るために作られた「兵馬俑」!
凛としたただずまい!
「雪原」の「木立」も、そして「兵馬俑」も、実に迫力があるのです。
写真で見るだけで迫力を感じるのですから、真冬の北海道の「雪原の木立」も、「兵馬俑」も、さぞや静かな迫力があるのでしょう。
そんなことを感じた一句でした。絶妙な取り合わせです。


宮線を添ふやシベリアより帰還 ひでやん


季語「宮線を添ふ」とは、冬至を経て日が徐々に長くなること。
またしても中国のお話になりますが、晋の時代に宮中で、日影の長さを計って日脚の伸びを確かめたことに由来する言葉なんですって。
さぁみなさんお気づきですよね?多くの方が最近ご苦労されたと思しき季語「日脚伸ぶ」とニュアンスが似ていますよね?
歳時記の説明をさらに比べると「日脚伸ぶ」年明け後、「宮線を添ふ」は冬至の頃で、より春に近い時期みたいですが、ここからボクの思いつきなので
合ってるかどうかわかりませんが「日脚伸ぶ」はふとした気づきに対して、
「宮線を添ふ」は何かを使って計っているあたり、春を心待ちにしているような、現代社会で言う時計やカレンダーを確認するようなニュアンスがあるような気がしました。
俳句の先生がそれは違うと仰られてもボクはこういう使い分けを今後心がけて堂々と力強くボツにもなりましょう。
日本から遠い「シベリア」へ、父親か恋人か誰かが何かで出かけていて、
その帰りを待つ人の句でしょうか。それだと下五によって、今まさに「帰還」してきたという昔の少女漫画の最終回のような余韻の句になります。
それとも「シベリア」という過酷な土地から、「帰還」する人の句。
「帰還」というくらいですから戦地からかもしれません。
そう読むと、力強く頼もしい作中主体が見えてきます。
どちらと読んでもけして寂しい印象はないのです。
それはもう季語「宮線を添ふ」という季語が響くからです。
日影の長さを計って日脚の伸びを確かめて、指折り数えるようにもうすぐ帰ってくる大事な人を思う気持ち。
日影の長さを計って日脚の伸びを確かめて、家族や恋人、故郷へと帰るワクテカな気持ち。
ここまで季語がモノを言う句が創れたら、ボクも創りたいと心から思いました。季語の解釈が合ってるかどうかというのはありますが、季語って本当に偉大ですよねってヒマなんもだいぶ回数を重ねてからそんなことを思い知らされてしまいました。


以上になります!


明日は「ヒマラヤ天」予想の日!
詳しくはコチラをご覧ください!!

さぁどの句が「ヒマラヤ天」でしょうかね??ぜひ予想を!!
お楽しみに!

                                  

第十五回 ヒマラヤなんちゃって句会

「ヒマラヤ苺」発表!!   
「ヒマラヤ龍」発表!!
「ヒマラヤ天」発表!!

ヒマラヤなんちゃって句会 アーカイブ
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「ほんとはね」 ヒマラヤで平謝り

選句 本文 編集/ヒマラヤで平謝り 
兼題画像/村瀬っち        
SpecialThanks/髙田祥聖 カニくん



お試しで作ってみた項目ですので、本当にサポートしていただかなくてもいいのですが、万が一なんとなくそんな気分でしたら・・・!