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FM8173 24時間スペース           俳並連句会 後の祭りスペシャル



相変わらずヒマラヤで平謝りはうまいことしゃべれません。
しゃべれませんでした。
時間の制限も気になったり、とにかくすごい疲労感で選句した俳句について言いたいことの数パーセントしか伝えられなかったという自覚満々である。

全体の結果として選者五人の選が被る句というのがほんの数句しかなくて、非常に選者の個性のにじみ出ている結果となった。

裏話をさせていただくと、24h結果発表のスペースで誰かが言っていたが、選句シートは選者五人共通のものを使用しており、ずらーっと並んだ俳句一覧に俳号を伏せてもらい、「天地苺」以外に「予選」「選外」という項目があり、その使い方解釈はそれぞれ五人に任されていた。
ボクはとにかくピンときたものに「予選」とつけていき、すべて見終わった後「天地苺」に振り分けていく戦法を取ることにした。
その作業中、他の選者も同時にそれぞれの解釈をもって選をしている様子が見えていて、皆いきなり「天地人」をつけず、「予選」作戦をとっている様子だった。

最終決定はそれぞれに頭を痛めてギリギリまで悩んで決定していたようだったが、ギリギリのギリに決めているためか互いの最終決定は五人とも眺める時間はほぼできなかったように思う。
選者の発表を聞きながら「あ、これ予選にしてたなー」などと思う句が多くほかの選者の発表から出てくる。選句制限の結果選ぶことができなかった句をほかの選者が救ってくれたような、そんな気分でほっとしたような心くすぐられるような、そんな気分になった句が何句もあった。

我々は「シロート」である。
ボクのように「ヒマなん句会」という戯けた句会で一応どっしりと選句経験しているものもいれば、内々の「夏雲句会」などで選句経験はあるものの、ここまで多くの句から選び抜き、選評を述べるという経験のないものもいる。
投句いただいたみなさんの中には「なにいってんだあいつ?」みたいに思われた方もいらっしゃったかもしれませんが、これはそれぞれの選者の出した「シロート」なりの答えですので、その辺ご了承いただきたい。

さて、冒頭で書いた通り選評でボクがうまくしゃべれなかった事、ホントはこうも思ってたんだということをこちらに残し、我らの無謀企画「俳並連24hスペース」の、ヒマラヤで平謝りのシメにしたいと思います。
スペース内で話した事、うまくしゃべれなかった事などはキリがないので一切反省することはありませんし、次はもうありません。いーえやりません。

ただ「俳並連句会」で選ばせていただいた俳句の感想について、言い足りない部分があるので、それだけ補足させていただきたいと思います。

ほんの数分でも、がっつりともお付き合いいただいた皆様に、
この上ない感謝を申し上げます。


ヒマラヤで平謝り 選  苺


聖剣もオーブも捨てるための帰省  ツナ好

二つの解釈がありました。
「平日はゲームをやっていたが、ゲーム機のない実家に帰省する」
「都会に出ていたが、一念発起して実家の家業を継ぐために帰省する」
いずれにしても中七の「捨てるため」という楚辞が帰省に前向きなニュアンスが見える気がして、作中主体の決意を応援をしたくなりました。
聖剣、オーブに「ドラクエⅢ」的なニュアンスを感じ、この決意はひょっとしたら、若いころの自分の決意を懐かしがって詠んだ句なのかもと思いました。ドラマチックノスタルジア!

草市の諸々を買ひ花を買ふ  いかちゃん

草市という地味な季語。草しか売っていないような市なのだろうか?さぞかし地味な市なんだろうなと思いきや、お祭りにならぶ屋台のような風情で、盂蘭盆 (うらぼん) の仏前に供える草花や飾り物などを売る市。当然花も売っているのです。ひょっとしたら作中主体もボクとおんなじ思いで出かけたところかわいらしい花を見つけて、「諸々を買」ったあと花も買うのです。
故人がどういう花が好きだったか懐かしく思いながら。
そういうさりげない場面を描きつつ裏にある想いを透かせる俳句が詠めたらもう「プロ俳人」ですよね。何気にノスタルジック!


別れ蚊はファミコンの側面にゐる  コンフィ

80年代90年代、古今東西老若男女ファミコンを持っていたものだった。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ファミコンである。
長いこと遊んでいたファミコンには熱がこもっていたのだろう。
すっかり涼しくなってきた部屋に、あたかも暖を求めているかのように力なく着地した先がファミコンだった。あるあるではないがあるあるのような書きぶりが愉快。「ゐ」の選択もすっとぼけていて内容のバランスに会っているように感じました。王道ノスタルジー!!

チューニングずれるダイヤル終戦日  イサク

玉音放送を聴く場面も浮かぶし、当時の歌謡曲を楽しむ家族の映像も浮かびます。白黒で荒いフィルムのカクカクした感じ。パチパチっていう雑音まで聴こえてきそうです。
いまどきのラジオはボタン一つでチューニングできるが、昔はダイアルを回してエライきわどい調整を余儀なくされていたのを懐かしく思い出します。
戦争で亡くなった人を偲び、当時から使っているラジオを終戦日にスイッチを入れる。聴こえてくる音楽は最近の曲のはずなのになぜか懐かしの曲に聴こえてくるような気がします。これも王道ノスタルジー!!

留守番の桃の夕日のぬるさかな  ぞんぬ

夕方留守番をしている子供が一人。
もらってきたのか買ったのか、桃がそこにあって。
「夕飯までに帰るからね」といわれているものだから、おなか一杯になってしまうからなのか家族と食べたいからか、でも桃の触り心地が気持ちよく人形のように抱えてる・・・。か、テーブルに置かれた桃にうれしくて見つめているのか、作中主体の優しい視線がいづれにしても感じるのです。
ひょっとしたら、ニンゲンの帰りを待つ桃視点の句かもしれません。
優しい夕日が桃のぬるさと、そういえば似てる。
留守番の心細さが桃の甘さと、そういえば似てる。
優しいぬるさは、桃にこそふさわしい。胸を突くノスタルジー!



ヒマラヤで平謝り 選  地


流星になるといふ嘘だつたのに  恵勇

童話的であるような気がしました。解釈に苦しみましたし説明に難儀さを感じましたが、絶対に見過ごせない存在感の一句でした。
ボクの中ででた一つの結論として、作中主体は「流星に」なってしまっている。ということだ。
例えば「嘘をついたら閻魔様から舌を抜かれる」ということが本当だったらボクは何億枚舌を抜かれているだろうか。
作中主体は何かをしたら「流星になる」と吹き込まれていたが、せせらわらって逆らってしまう。そして彼は「流星に」。
下五の「だつたのに」に後悔や無念さを感じ哀れになります。
「流星に」なった彼はヒトだったころを懐かしく思うという句かもしれませんし、オーソドックススタイルな昔話のような顛末のこの物語を懐かしく思う句かもしれません。
そしてボクは、昔話や童話が大好きなのです。
星に願いを!スペースノスタルジー!!

昔むかし酸っぱい梨がありました  いかちゃん

これまた昔話のような一句です。
ですが、現代日本の自然破壊を嘆く句かもしれません。
もうこのまんまなのでしょうね。
もっと深く言えば、野生の梨の木がそこにはあったのでしょう。
我々が食べる梨は農園の方の苦労があって甘くてジューシーな梨が食べられるのですが、野生の梨の木は渋かったのかもしれませんし、完熟する前に盗み食いするものですから「ここの梨=渋い」とおもいこんでいるのかも。
それもこれももう「昔むかし」の話なのです。
ひょっとしたら「酸っぱい」と「いっぱい」を聞き間違えてるのかもしれないなと思うと、これまた胸がつぶれてしまうようなお話ですね。
梨の木々が植えてあったところに、さぞキレイなビルが建っているのかもしれません。けどね。・・・梨がこんなに食べたくなるとは思いもよりませんでした。
王道のノスタルジックノスタルジア!!


ヒマラヤで平謝り 選  天


流し見の絵本の明朝体さやか  ギル

本の文字に何々・・・みたいな句には既視感こそありましたが、全く思い出せなかったので気のせいと思うことにしました。
作中主体は子供のころ読んでいた絵本をなんとなく手に取るのです。
子供のころとは見方読み方は違うはずなのに、急に引き込まれていつの間にか物語に夢中になっているのでしょう。
その明朝体の文字が「さやか」である。女性の名前じゃないですよ。爽やかってことです。
物語にトリップした作中主体は、気づけば追っていた文字に爽やかさを感じたのです。
子供のころの悲しい思い出や、大人になった今の哀しい悩みも何もかもが、いったんリセットされた爽やかさ。
こんなものを取っておいてくれていた親へ感謝をする爽やかな気持ち。
そしてきっと絵本のお話は主人公が幸せな結末を迎えたのでしょう。
読後感の爽やかさ。
こんな小さい場面を一句として詠む人はさぞ優しい人なのでしょう。
ボクも爽やかな気持ちになれました!
キングオブノスタルジア!!


以上です!
五人の選者の結果発表は→コチラ

俳並連24hスペース、お聴きいただき、ご投句いただき、
ありがとうございました!
こんな企画もうやりません!!

2024.08.26 俳句ポスト並盛連盟
ヒマラヤで平謝り


お試しで作ってみた項目ですので、本当にサポートしていただかなくてもいいのですが、万が一なんとなくそんな気分でしたら・・・!