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第十回 ヒマラヤなんちゃって句会     「ヒマラヤ地」発表!!


Twitter@himahira19で行っていた句会の結果発表の三日目です。

ヒマなん句会もとうとう第十回。節目の回となりました!

実はここでこっそり告白すると、どなたかがどこかで『ヒマなん句会を大いに語る会』というスペース雑談枠なんかが開いてくださって、『ヒマラヤ天』の方をお招きして選ばれし句について語らうとか、『今回はヒマラヤ地だったけど、あたしゃこの句があたくし天だね』など、勝手に語らう方々の集まりみたいのができてないかなぁと毎回発表直後わくわくしてたんですよね。他の句会でよくやってるじゃないですか?感想戦とかああいうの。
毎回どこもやってない様子でしたので、やってくれててもいいのにぁくらいに思っていたのですが、よく考えてみたら句会の主催の方がその集まりも主催してましたね。あそこもあちらも。
そりゃボクがやらなきゃだれも勝手にはやるわきゃないんですよね。
気付いてちょっと恥ずかしかったです。
ボクはこの句会と、俳句ポスト並盛連盟の会合以外なにか主催する気はさらさらないので、みなさんにおかれましては仲の良い俳人さん同士でお話する機会がおありでしたらそれぞれで『あたしゃあの句が・・・』等と、   するめの如くヒマなん句会をすみずみまで味わっていただけたら幸いです。


ちょっとほっこり、ちょっぴり切ない。「ヒマラヤ地」はそんな句です!


                      務所の光窓の雪ほどルクスなく 弓原トーヤ

                                  

刑務所をムショと言うと通っぽい(?)のですが、果たして「務所」と表記はアリなのだろうかというのはあるのですが、アリという事にします。 
その「務所」の灯りはどの程度なのか、さすがに見たことはないので、映画などの「務所」を想像するしかないのですが、独房ですとなるほど薄暗いイメージがあります。その寂しい灯りを「ルクス」という照度の単位と表現して、さらに「窓の雪」の灯りと比べます。なんて薄暗い比較でしょう。    挙句「窓の雪」のほうが明るいだなんて、一体「務所」の灯りとはどの程度なのでしょう・・・。と、考えてるとあら不思議。「窓の雪」のあの明るさがゆっくりゆっくり脳内に現れてきます。
今年も積もりやがったあの雪! 忌々しく思っていた雪!根雪となっても苦しめられたあの、あの雪!
夜になり明けきる前に出勤した時にみた絶望の雪のあの明るさを思いました。季語が立つとはこのことかもしれません。
場面設定のショッキングさ、「ルクス」という単位を用いたギャップ、ゆっくりと季語を脳内で再生させ、余韻として淡く響く語順。
興味深い一句となりました。



蟻の巣に借りた部屋にどうも人が来ない いかちゃん

                                  

今回のすっとぼけNO1かもしれませんね。
そりゃ「蟻の巣」に「人」は「来ない」でしょうよ。狭いし。
季語「蟻の巣」なのですが、ひょっとしたら比喩的表現かもしれません。     働き蟻のようにコツコツ働き、やっと払える家賃の部屋は狭くごちゃごちゃとしている・・・。忙しく働いて気が付けば、自分の部屋に招くことができるような友人がいなくなってしまっていた、そんな初夏。        という切ない物語があるのかも・・・と、考えていると、やがてじんわりと効いてくる「どうも」という措辞。この「どうも」が、すっとぼけていて実にパンチが効いています。
お読みいただいてるとおりかなりの字余りですが、「どうも」をどうにか解消して調整すれば、五七五に収まりそうなのですが、この「どうも」がこの句のひょっとしたら込められているかもしれない切ない比喩も、ふんわりとかき消してくれてすっとぼけた味わいを醸し、大きなパンチとなって読者に忘れられない句に仕上げてくれているのです。もしこの「どうも」がなかったら、ただただ切なく悲しいだけの一句になってしまいます。
もうどうしたらこんなことできるようになれるのでしょうか?
たった三文字がするどい弓矢のようでした。



障子貼る猫に認めてもらうまで 月波

                                  

季語「障子貼る」は、秋の季語なんですね。冬支度なんですって。    大掃除とかの季語かと思ってました。へー。
でも、この句の貼り手(?)の人は、秋だけ「障子」を「貼」っているわけではなさそうです。おそらく春夏秋冬「障子」を「貼る」ことでしょう。
そう、「猫に認めてもらうまで」。
なんという中七下五でしょうか。なんともいえない侘しさ寂しさを感じます。あいつら、なかなか「認めて」くれませんよ??
きれいに「障子」を「貼」っては、「猫」がにゃーっと破るのでしょう。   むしろ、「猫」にとって破ってくださいと言われてるのではないかと勘違いしていそうなくらいに、百発百中バリバリと。
いろいろ対策を施したりもするのでしょう。               現行犯で叱ると言う事きいてくれるんじゃないかと見張っていたのに隙を見て破られたりとか、「猫」の苦手な匂いのするものを置いてみたりとか、 他に興味を引くものを用意してみたりとか。
全てを悉く覆されて破られる「障子」。
破られたら「貼」り替えたらいい。私が慣れてしまえばいいという達観が、この句の語順で見えてきます。
アクリル板を「貼」って「猫」が体当たりして怪我をしてはいけないし。と、「猫」に対して物静かな優さを、この貼り手から感じます。
「猫」相手ですが、いたちごっこですね。奴が飽きるその日まで。


                      世界地図にはまらぬピース春北風 夏湖乃

                                  

ヒトの営みには、足並みをそろえるということが必要になることがあります。納得いかなくてもなんとなく従わなくてはならない空気というのがあって、日々を無難に過ごしていますが、たまに規格外の人がいて、パズルにあきらかにはまらない大きさの「ピース」の人もいます。いいのか悪いのか、規格外の人はどこにもいていい方向に行くこともあればよくない方向に流れてゆくことってありますよね。
「世界地図にはまらぬピース」。世界という大きな括りとなると、そりゃあいろいろな考え、自己主張があって足並みなどそろうわけないのです。
『こっちにはこっちの都合が・・・』『あっち、なんかうらやましいな』
話合いで足並みを、せめてそろわなくても合わせようとある程度妥協して世界平和は保たねばならないのですが、それがうまくいかなくて力づくで言う事を聞かせようと拳をあげてしまうという愚行が今なお続いています。
正しくはまらなくなってしまった「ピース」を、だからといってボクらが大きさを整えて無理やりはめてしまうようなこともできません。やきもきするしかしかありません。
世の中にはそういう人もいるさと、とても割り切れない気持ちを、    季語「春北風」で少しだけ和らげてくれているようです。
「春疾風」「春荒」では、どうにも憤懣やるかたない想い全てを強くさせてしまいそうな気がしてしまうのです。ボクでは遠い国のあれこれに何かできることなどあるはずもなく、はまる「ピース」としてこれから過ごすしかないのですからね。
色々なことを考えさせてくれた、大きな一句でした。


以上になります!
明日は「ヒマラヤ天」予想の日!
詳しくはツイッターをご覧ください!!
さぁどの句が「ヒマラヤ天」でしょうかね??ぜひ予想を!!
お楽しみに!

                                    第十一回 ヒマラヤなんちゃって句会                 

「ヒマラヤ苺」等々発表!!
「ヒマラヤ龍」発表!!   
「ヒマラヤ天」発表!!               

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選句 本文 編集 兼題イラスト 見出し画像/ヒマラヤで平謝り            SpecialThanks/髙田祥聖 カニくん

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