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なんで俳句に翻弄されてんだろ?


カニさまいかさま仏さま


俳句ポストデビューも一応、した。
依然「天」「地」はおろか「人」なんてまったく届く気がしない。
お便りコーナーに「10年、いや20年後には「天」「地」にたどりつけるように頑張りますのでどうぞ見守っていてください。」等と神頼み風なお便りを出したりした。本当にそれくらいかかってもいつかはと願うようになっていた。なんせ後期高齢者にならなければたどり着けない境地なのだ。

それでもボクにとって大きな成長はあった。
なんと「人」に選ばれるという奇跡が起こったのだ!

一寸法師の刀代わりに唐辛子 記念の初「人」句。松屋で思いついた。

頑張ればたまにこういう事もあるのだ。
のんびりと句作に励み、「鷹」の兼題で、とうとう二句「人」となる。
なんてすばらしい成長ペースであろうか!(他の人はわからないが)

ジミーペイジのギター鷹の強襲
転職を決めた青空鷹が往く    
記念の初「人」二句。

最近の所謂ヒマラヤらしさが出てるよなぁと今は思うが、よくぞ採ってくださいました!どんな風に作句したか今でもなんとなく思い出せる。


ボクはすっかり気をよくして、ツイッターに最近覚えたハッシュタグを駆使し、「#ヘタヘタ俳句メモ」とタイトルを付け、ツイッターに自句を挙げるという、壁打ちの卓球のような日々が続いていたある日、フォローの申請なるものが届いた。
何のエロアカだろうかとみてみると、どうやら俳句初心者らしい。
え?ツイッターって俳句やってる人っているんだ??
探しもしないのに勝手にいないと思っていたのは、俳句(風な文字列)をひたすら出していたときに全く無反応だったからだろう。
「カニくん」という若い子も俳句に四苦八苦しているようだ。
おお、同胞よ・・・。
わらをもつかむような思いでフォローさせてもらった。
ボクなんかよりもカッコイイ俳句を詠んでいて、あれ若いのにこういうの詠めるんだと驚き焦った。
カニくんをきっかけに、たくさんの「俳人」からフォローの申請が届くようになった。正月明けのオフィス街のようにわらわらと俳句を詠んでいる人が現れたことに驚いた。
勝手に後期高齢者だと思い込んでいた有名人様であらせられる、いかちゃんやBCADさん達にもフォローしていただいた。
え、ツイートの様子を見ると、みなさん若い方ばかりではないか!
ただもうあれだけ高くなっていた鼻はすっかり無くなっていたので、ああそうなのかとすんなり受け止められた。
無知は恥。しかし知るということはなんと刺激的な事か。

ある日、いかちゃんが俳句ポストで気に入った俳句に鑑賞文をnoteに書くというツイートを見かけた。
俳句ポスト365「蛇」好き句鑑賞 その1
ひょっとしたらボクのも出てるかも・・・。等と読み進めていると、
発表の時にサッパリわからなかった句が、いかちゃんの鑑賞によってボクなんかにもよくわかるように書かれている・・・。
すごい!俳句ってこう読むんだ・・・!
当然ボクの句なんぞは出ていなかったが、未だ「ハウツー本」を買っていないボクにとって大変勉強になった。
いつかボクの句もこんなふうに鑑賞してもらいたいなー・・・。と、また新たな目標ができてしまった。
ついこの間まで灰色の中年人生をただ生きていただけのボクに、ささやかながらも偉大で叶うか叶わないか全く予想できない目標が、わらわらと出来てきた。大変ではあるがありがたい事である。


スペースとは?

                                 色々な方をフォローしていくうちに、「スペースの通知」なるものがたびたび出るようになった。
何だスペースって??宇宙?
理屈はよくわからないが、ツイッターのアカウントを持つもの同士が会議通話をし、その模様をツイッター内でたれ流せるものらしい。すげー・・・。
思えば文章で俳句を詠む人と知り合うことはできたけど、今は「わからないことがわからない」状態である。直接お話したり、質問できたりしたらどんなにすばらしいことであろうか・・・。たびたび開かれているスペースとやらに、ボクはさっそく潜入しようと試みた。
ちょっと前のボクなら、入る前から恐れをなして触れようともしなかったであろう。気づかないうちに好奇心が芽生え始めているらしい。
みなさん、声が若い!そして素敵なお声・・・!
あこがれのいかちゃんもなんだか難しいことをしゃべっている!!
話している内容は俳句のコアな話ばかりなのでイマイチよくわからなかったが、たまになんとなく聞いたことがある話や俳句が出ると、別次元の話というわけでもなさそうだった。みんな、バーチャル世界の人じゃない!!

濃度の濃いお話ばかりだったので、すぐに疲れて退出し、あくる日また現れて黙って聞いてこっそり立ち去るという日々が続いた。
後日聞いた話によると、ボクのツイッターアイコンも相まって相当不審に思われていたようだった。
常に多人数で集まっている中、駆け出しも駆け出しのボクが入る勇気がないままでいたある日の明け方、仕事場に向う最中ツイッターを開くと、あのいかちゃんともうひとりの二人だけでお話しているスペースが開かれているではないか!
一体この人たちいつ寝てるんだろうか。等とも思ったが、夜更かしの延長なのだろう。チャンスとばかり飛び込んだ。
いかちゃんの俳号はよく見る事や、noteの鑑賞文のおかげで勉強になっているというようなことをアイドルファンの如く早口でまくし立てて言いたいことだけ言ってお二人を困らせた記憶はあるものの、あとはなにをどう話したかよく覚えていない。しょっぱいスペースデビューとなった。


髙田祥聖という不思議 ネット句会という不思議


スペースデビューはしたからか、もっと交流を持ちたいと願うようになった。ボクが一時ハマっていた「人狼ゲーム」でできた仲間と通話しながらゲームをしたら、とっても楽しかったのを思い出していた。
そんな中いかちゃんと髙田祥聖という人がスペースでお話しているのを見つけた。ボクが時々潜入していたスペースでもよく見かけるイケボだ。
ぬるりと入っていったら、みなさんすぐに仲良くしてくれた。
何にも知らないボクに、根気強く色んなことを教えてくれる。(今でも)
思えば髙田祥聖が、知らない人ととても話しやすくなる潤滑油になってくれているようであった。今やっとわかってきたが、髙田祥聖とはそういう生き物なのだ。彼がいなかったらこうは俳人交友関係は広がってはいまい。
色々真似をしようと思ったりもした。俳句の音読の声や抑揚を真似してみたりもしたが、すべて空振りに終わった。
作風を真似るだなんてとてもとても・・・。

色々お話を聞いていると、俳句をする人というのは投句に飢えているという感想を持つようになった。その場で俳句を詠んでは「どこどこに投句しよう」等と言い合っている。こちとら半月に一回の俳句ポストだけで精いっぱいだというのに何という恐ろしいスタミナだろうか。
ただこの時の話のおかげで「ヒマラヤなんちゃって句会」が(幸か不幸か)生まれることとなる。

「ヒマなん句会」がスタートしてから、憧れの世良日守さんが主宰している「福岡句会」が福岡県民ではないボクでも参加できることを知ったり、
「夏雲句会」など、たくさんの句会が催されていることを教えていただき、
組長が選句している「俳句生活」や「一句一遊」の存在も教えていただくこととなる。何と言う事であろうか!「ヒマなん」なくとも句会はわんさかあるし、素晴らしい「夏雲システム」なるネット句会を便利に開催できるツールまであるではないか・・・!「投句に飢えてる」ように見えていた先輩方は、これだけあってもまだ飢えているとでもいうのであろうか。恐るべし。

もちろん「カニくん」にはすべて共有した。
スペースに誘っても二の足を踏んではいたが、「福岡句会」や「俳句生活」は一緒にトライするようになった。
「福岡句会」ではお互いにお互いの句とわからないのに高評価の選評をしあっていてそれがなんだか不思議で楽しかった。

ただそのカニくんも、いつしか俳句から遠ざかってしまうこととなる。
色んな俳人と仲良くなれたきっかけの大事な人だからとかではなく、彼のかっこいい俳句は本当に大好きだった。かなわねぇやと思っていた。
いつか、また俳句を詠むかもしれない。でもさびしいな・・・。

こんな思いが後の「俳句ポスト並盛連盟」発足となるのであった。


2023.02.21 一応脱稿 

雲の峰ドラえもんには甘えたなぁ

「夏雲句会」、ひいてはネット句会デビュー句。0点。
ただ、評は思いの外たくさんいただき、ネット句会にハマるきっかけとなる。その上この句は奇跡を起こす。

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お試しで作ってみた項目ですので、本当にサポートしていただかなくてもいいのですが、万が一なんとなくそんな気分でしたら・・・!