濃密な人間関係が生まれる場が恋しくてたまらない。(日本の夜の公共圏 スナック研究序説)
谷口功一、スナック研究会編著「日本の夜の公共圏 スナック研究序説」を読みました。スナックを文学や法学、歴史的な観点からそれぞれの専門家たちが語る本です。
バーや居酒屋にはない、濃密な人間関係が生まれるスナックという空間。それは、日本独特の文化であり、コンビニの無い地域にすら存在する程どこにでもある空間である。
社会人になる前に半年ほどわたしもスナックで働いていたことがあり、上京して初めて東京で「地域の繋がり」を感じた。生まれてからこの方、都会にしか住んだことがないため、ずっと憧れていた「地域の繋がり」を東京のスナックて感じて、驚いた。
わたしは、コミュニティや地域づくり、街づくりといったトピックに、もともと興味があった。シェアハウスやソーシャルアパートメント、ゲストハウスのように人と人が出会う住まい。公園や広場で行われるお祭りやイベント事。また、コワーキングスペースやカフェのような作業の場。そういった人と人とが出会う場、共有の場に行くことも好きだし、そんな空間や場所を自分でも作ってみたいと思う。
スナックという空間を知って、今まで自分がやってみたいと思っていた「オシャレな」場づくり、人と人との出会いの場が、ひどく薄っぺらいモノに感じられた。それほど、スナックは濃密で、人と人との出会いが生まれる場で、かといってその距離が近すぎない空間だった。普段の生活では出会えない人と話が出来る。それも、多様で数多くの出会いがある。
スナックで働いたことをきっかけに、もっとこの空間について知りたいと思い、わたしは本書を手に取った。
この本で面白いなと思ったのは、スナックは「夜・外・女」というキーワードが並んで、そこに必ずしもセックスが入ってこないと書かれていたことだ。海外で「夜・外・女」ときたら、その後はセックスとなるのだろう。その意味で、日本のスナックという空間は異色な文化なのだろう。確かに、わたしが働いていたスナックでも、女の子との会話を楽しみにくるだけでなく、お客さん同士の繋がりを楽しんでいたり、女性のお客さんもスナックという空間を楽しんでいたりした。お客さん同士のコミュニケーション、繋がりが生まれる、あの濃密な場を誰もが楽しんでいた。
スナックのような場に足を運ぶことで人生豊かになるとは言わないが、とても愉快な日々が送れると思う。
では、これからスナックはどうなっていくのだろうか。外出自粛の影響を強く受けているため、苦しい状況のお店が多いのは心が痛む。そして、本書で少し触れられていたが、スナックの接客はAIやロボットに置き換えられるモノなのか、それとも人間がする「高価」なサービスと認識されるだろうか。ロボットやアバターが接客する新たな形態のお店が出現してきた近代、スナックはどんな影響を受けるのか興味深い。また、ジェンダーやセクシャリティに対する社会の価値観が変化しているなかで、スナックはどう変化するのだろうか。わたしがスナックで働いていた頃、やはり同年代の友人たちと話しているよりも、古いまたは不快な価値観の残った場だと感じることも多々あった。「男性が女性にお金を払う構造」がスナックの根幹にあり、その構造はジェンダーやセクシャリティに関する社会の価値観の変化で揺らいでいくのではないかとも思う。また違う世界観で揺さぶられるであろう、ゲイバーやジェンダーフリーなバーに行ってみたくなった。
それぞれのスナックがそれぞれの世界観を持っていて、スナック自体の形態もスナックに関する制度や規制も常に変化してきたようだ。濃密な空間を避けなければならない突然の外圧に、今まさにそれぞれのスナックが変化・進化をし続けているのだろう。
どんな形態で、なんと呼ばれる場でもよいが、あの濃密な人間関係が生まれる空間が恋しくてたまらない。