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青人草はもういない、かな?

古代、民のことは「青人草(あおひとくさ」)と呼ばれたどうです。「民草(たみくさ)」も同じようなこと。そのココロは、勝手に増えるもの、だったのだとか。

記紀によれば、神はやたらと神を産んだのに、人を産んだという記述はありません。日本の神(そしてまた、記紀に名を遺す神々の子孫たち)にすれば、民というものは、抜こうが刈ろうが踏みつけようが、勝手に増えてくるのだから、という思いもまた、この呼び名には投影されていたのかもしれません。

考えてみれば、古代に名のなかった青人草の子孫が今日まで生き延びているというのは、ある意味、凄いことのように思えます。一体、どれだけの生命力を擁していたのかと。そして、今の日本の国民のほとんどがそうなのだとすれば、なおさらのこと。

ですが気が付けば、勝手に増え続ける青人草は、もうこの国から姿を消してしまったのかもしれません。少子化と人口の減少が、そうした様を如実に物語っています。

かつて読んだ本に、経済発展と少子化の相関について論じたものがありましたが、いずれにしても、この国は今、ちょっとやそっとの援助をしてみたところで、出生数の増加を期待するのは難しそうな時代を迎えています。

でも、それで本当に困るのは誰なのでしょう。少なくとも青人草の子孫たちではない気がするのは私だけでしょうか?