友人の死
友人の訃報が入り、共通の友人と弔問することになった。
彼女とは趣味のサークルで6、7回(おそらく両手で足りるくらいの数程度)、会ったくらい。
けれど、いつもサークルでは親しく話していたし、共通の友人(サークルリーダー)から「ぜひ一緒に」と弔問に誘われたので、ご一緒させていただくことになった。
彼女は50代で、乳がんだった。だんだん悪化して、長らく、病院で闘病生活を送っていた。最近は病状が安定して、もうすぐ退院できるかもと、聞いていた矢先の訃報だった。
ご自宅では、残されたご家族が少しやつれた顔で、出迎えてくれた。
言ってみれば、せいぜい数回会ったくらいの仲だが、私は彼女のご遺体を前にして、涙が滲んできた。
頭の中では、「人はやがて死ぬもの。死と生は隣り合わせ」とわかっていても、悲しい気持ちが溢れてくる。
長い長い闘病生活を終えて、やっと彼女は肉体的な苦痛から自由になった。安らかな永遠の眠りについた。
そう考えても、やっぱり、人の死は悲しい。
数年前に亡くなった、祖父母の葬式を思い出すのかもしれない。
もうこの人と二度と話したり、笑い合ったりできないという実感かもしれない。
死は平等に私たちを待ち構えているという恐怖なのかもしれない。
思考と感情は別であるというのを、ひしひしと実感した。