徳川の謎が解けた

 先祖の一人の松平元康の御霊に訊いた。
「松平元康さまは元信を名乗ったことは有りますか無きですか」
「なき」
「元信を名乗ったのは世良田二郎三郎、そういうことですか」
「そういうこと」
「松平元康さまが安部正豊に殺されたのは桶狭間の戦いの前ですか後ですか」
「あと」
「松平元康さまは家康を名乗ったことは有りですか無きですか」
「なき」
「なき、左様ですか」
さ(左様)」
「徳川家康を名乗ったことはない、そういうことですか」
「そういうこと」
「ありがとうございます」
「はい」

 先祖の一人の徳川家康こと世良田二郎三郎元信の御霊に訊いた。
 徳川家康こと世良田二郎三郎元信は武田晴信の七男で母は於大の方。本当の幼名は国松。初名は酒井浄慶。徳川家康こと世良田二郎三郎元信は関ヶ原に於いて島左近の配下に鉄砲で左胸を一回撃たれて死亡した。督姫からは徳川家康こと世良田二郎三郎元信の子。

 徳川家光は徳川家康と春日局との間の子。徳川忠長の父は浅井氏の家臣。

 先祖の一人の樵臆恵最の御霊に訊いた。樵臆恵最は夏の陣に於いて後藤又兵衛基次に槍で右横腹を刺されて死亡した。頼宣、頼房は樵臆恵最の子。市姫は農夫太右衛門(鯛の天ぷらを食べて死亡)の子。