#あなたの推しのイケメンを貼ってください
某読書サークルのSlackに「#あなたの推しのイケメンを貼ってください」という部屋がある。
みんなが思い思いのイケメンを挙げてはワイワイキャッキャとしているうちに、私は何とも言えないモヤモヤが襲ってきた。
モヤモヤの原因は、ルッキズム
※ルッキズムは外見至上主義、美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観とも言われ、人間の価値を測るうえで「外見」を最も重要な要素とする考え方です。容姿を理由に差別的な言動を取ることもルッキズムに含まれます。
先ほどのイケメン部屋を見た方が、このような投稿をしていた。
この投稿を見て、もしかしたらイケメンについて語る様子を見て、誰かが不快な思いをしているのかも…と感じた。
以後、無難な動物写真の投稿をすることが増えた。
もし、求人票に「容姿端麗」の条件があったら・・・
イケメン投稿をしない間、考えた。
もし、求人票に「容姿端麗」であることの条件があったら、自分はその仕事の能力があったとしても決して応募しないだろう。
それじゃ、おもしろくないよな…。
外見だけで判断されて、挑戦するチャンスがない世の中だとしたら、何もかも壊してしまいたいと思う人が現れそう。ダイナマイト幸男さんの投稿をした方も、同じ気持ちだったのではないだろうか、などと考えた。
(大切な気づきをありがとうございます!)
もちろん、俳優やモデルなどの職業なら「容姿端麗」が採用条件になり得るかもしれないけれど、世の中の仕事はそればかりではない。ましてや、仕事でなくても人生のパートナーとして選ぶ基準が「容姿端麗」なだけなわけがない。
心惹かれる理由の考察にさまざまな”美”を見出す
しばらく考えて、私はこういう結論に達した。
上の画像では、造形イケメンと表情イケメンの2種類とあるが、その後、生き様イケメンも加えた。あ、言葉イケメンも、他にもあるのかも…?
まとめ
イケメンといっても、
・造形の美
・表情の美
・生き様の美
・文章の美
・心遣いの美
と様々な観点がある。
『神々しいほど眩しげに 輝いているよに見えるのはホントの輝きなのだろか?』
考えてみたら私は、輝いているように見える人の内面を知らない。
外見は、その人の一部分でしかないのだった。
今回の件で、美しさの基準は「視点や状況によって様々に変化するもの」という発見があった。
ネットでは、顔が見えなくても、その人の発する言葉に知性や優しさを感じることがある。
それも間違いなく「美しい」ものである。