当時我々はどのようにゲームと出会っていたか
2021年に小樽文学館にて開催予定の『小樽・札幌ゲーセン物語』展。ありがたいことに現時点で様々な皆さんから展示物の協力をいただけていて、ミニ展示ながらかなり充実した内容になることがほぼ確実になってきています。その準備過程で80~90年代のゲームシーンのリサーチをしていると、改めて興味深い事柄が出てきます。今回はその中のひとつについて書いてみようかと。
1984年にコンピューターゲーム総合誌「Beep!」が創刊。最初のファミコン専門誌である「ファミリーコンピュータMagazine」(ファミマガ)が刊行開始されるのが1985年。翌年の1986年にパソコン雑誌「ログイン」の1コーナーから独立する形で「ファミコン通信」(ファミ通)、アーケードゲーム専門誌「ゲーメスト」が創刊。この頃はこういったゲーム雑誌の記事で新作ゲームを知ることが多かった。それでも当時はまだ月刊誌が主流だったから新情報を得るのは月に一度というペースでした。
では、それ以前はどうだったか。定期刊行されるゲーム情報誌がない頃は、基本ゲーセンやゲームコーナーで直にゲームと接することでそのゲームの存在を知ることが多かったと思います。わたしが最初にハマった「ゼビウス」を知ったのもゲームコーナーで直接見たときでした。ただ、このとき(1983年)はパソコン雑誌「マイコンBASICマガジン」(ベーマガ)の別冊付録としてアーケードゲームの情報を掲載した「スーパーソフトマガジン」という冊子がありました。後のゲーム雑誌と比べるとページ数は少なく、情報量は限られたものでしたが、他に情報源がない当時としては貴重な存在でした。ゼビウスの情報が載っていたこともあり、友人が入手したのをわたしも見せてもらい、それまで仲間内で仮の名前を付けていた敵キャラの正式名が分かってとても興奮したのを覚えています。一方でこのスーパーソフトマガジンで「マッピー」の存在を知って、後にゲーセンで直接現物を見たときに「スーパーソフトマガジンで見たやつだ!」という出会い方をすることになります。つまり直接ゲームと出会う前にその存在を知ることは、わずかながらあったということです。
他にメーカーが制作したチラシや豆本というのもありました。公式情報ということで、ひじょうに当てになる情報源ですが、メーカー直営のゲーセンじゃないと入手は難しかったように思います。
さらに時間を遡ってみます。1979年に連載開始された「ゲームセンターあらし」というマンガがあります。この頃のわたしはそれほどゲームに強い関心を持っていませんでしたが、子供ながらにある程度の興味も持っていました。ゲームセンターあらしも何かの機会にちょろっと読むくらいのものでしたが、まったく関心ゼロというわけでもなく、そこから多少の情報のインプットはしていました。なので、この時点ですでにマンガで見たゲームに後からゲームコーナーで出会うということはあって、自分の場合「ギャラクシーウォーズ」や「平安京エイリアン」はそのパターンでした。
ゲームとの出会いというテーマからは外れますが、ゲームの攻略法をどう知ったかについても少し触れてみます。ゲーム雑誌がない頃は、ゲームの攻略情報も本から得る機会というのはほとんどありませんでした。自分の記憶から当時どうだったかを紐解いてみると、ひとつは同じゲームをプレイしている友人から教えてもらうこと。「ギャプラス」のチャレンジングステージは3~5匹出てくる敵キャラを自機のショットでお手玉のようにはじきながら点数を稼ぐ仕組みなんですが、それがゲーム中で示されないので、何も知らないわたしは普通に敵を打ち続けて早々に画面外に出してしまって、少ない点をもらって「???」となっていました。その後、友人からお手玉することを教えてもらって、ようやくルールを理解すると。
https://youtu.be/iGfjlvmpLWs
噂のファミコン版ギャプラスの動画。ニンテンドースイッチ「ナムコットコレクション」の次回特典として期待されてますが、PS4やX-BOX、Steamでは先行リリースされていてこのような動画がすでにあがっています。楽しみですね。チャレンジングステージの様子はこの動画で分かります。
また「パックランド」の隠しフィーチャーであるヘルメットや透明化はゲーセンで見知らぬ他プレイヤーの様子を後ろから見ていて理解しました。パックランドに限らず、他プレイヤーが遊んでいるのを後ろからギャラリーとして見ていて発見したことは多いですね。その逆(自分のプレイから後ろのギャラリーに情報を与えたこと)もあったでしょう。こういったシチュエーションの集合体とも言える「ドルアーガの塔」については、わたしの場合、先にファミコン版を攻略本を見てクリアして、その後にアーケード版という流れだったので、他のプレイヤーから・・・ということはほとんど無かったのでした。
その昔、ゲームの情報をどのように得ていたかを、わたしの経験を中心に駆け足で振り返ってみました。現在の各メーカーが公式SNSを持ち、そこから速報として発信されて拡散といった状況を考えると隔世の感がありまくりです。それと今回は触れませんでしたが、インターネットが普及し始めてからSNSが出てくる前まで、掲示板が盛んだった頃(2000年代)だと、80~90年代とも現代ともまた違う情報の流れがありました。こういった「ゲーム情報とその流れの変遷」についても『小樽・札幌ゲーセン物語』で少し触れられたらと思っています。
■ 地方の文学館でテレビゲーム展を開催する・バックナンバー
https://note.com/hilow_zero/m/m535d51202b05
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