『テレビゲームと文学展』のきっかけ
小樽文学館で開催された最初のゲーム展である『テレビゲームと文学展』の企画が始まった経緯を少し書いてみたいと思います。
2006年くらいからわたしは博物館に興味を持つようになり、当時(今もですが)住んでいた札幌や旅行で行った先にある博物館・美術館・文学館に顔を出すようにしていました。その流れで2007年にはじめて小樽文学館に入ります。当時から独特の趣きがあり、強い印象が残りました。今は閲覧できなくなってしまいましたが、当時副館長だった玉川さん(現・館長)のWeb日記が2003年分くらいからあり、そこに書かれていた文章も面白かったのが合わせて強い印象として残ったというのもあります。
↓ ※新しいフォーマットになった玉川さんの日記はこちらで読めます
よもやま日記
そのWeb日記にはテレビゲームについての記述が少しありました。玉川さんは50代だった2007年当時も今(2020年)も現役ゲーマーではありませんでしたが、80年代前半のナムコ(ゼビウスなどの頃)に深い思い入れがありました。その延長で現在まで続くカルチャーとしてのテレビゲームにも関心があり、それは文学ともリンクするものと捉えていました。そういう視点からゲームについて話すのはわたしにとってすごく面白く、文学館の一来場者からゲームの話を学芸員とする常連客へと少しずつシフトしていったのです。
2009年くらいからボランティアとしてのお手伝いも少しやりつつ、新しい企画展を覗きながら相変わらず玉川さんとの雑談を続けていました。そして2010年、テレビゲームと文学展へと至る契機が訪れます。2010年はパックマン30周年の年で(ということは今年2020年は40周年になります)、東京のアーツ千代田3331というところで『パックマン展』が開催されていました。
わたしは会期中に別件で東京に行く用事があったので、その合間にパックマン展に足を運びました。かなり良い内容で、けっきょく2回観に行くことに。パックマンの名を冠するゲームがアーケード・家庭用・パソコン版を問わず集められていました。パックマンともなると日本で発売されたほぼ全てのハードに移植されていたので、日本人が触れたほぼ全てのゲーム機とパソコンが集まる展示でもありました。その一部は実際にプレイ可能で、アーケード版はほとんどのタイトルがプレイアブル、しかも日本ではレアな海外版も遊べました。
他にも開発資料や日本国内・海外合わせてグッズ展開されたアイテム類についても展示。また、この記事に画像を貼り付けていることからもわかるとおり会場内の写真撮影OKという太っ腹でした。
当時、わたしも玉川さんもTwitterをやっていて、わたしが会場内からリアルタイムでパックマン展についてツイートしたつぶやきに玉川さんが即反応。妙な盛り上がりをしたのでした。この熱気をそのまま北海道に持ち帰り、小樽文学館でも何らかの形でテレビゲームに関する展覧会ができるのではないかという話に繋がっていくのです。そこから2年経った2012年に『テレビゲームと文学展』という形でひとまず世に出ることになります。この間については、またの機会に。
こうして振り返ると、パックマン展の存在とそれを受けての謎の熱量がなければ小樽文学館でテレビゲーム展は生まれてなかったかもしれません。パックマン展という「具体的な参考」があったことは大きいですが、ベースとなる小樽文学館の存在もやはり大きい。はじめて小樽文学館に訪れたときは、そこでテレビゲーム展が企画され、さらに自分が関わるということは思っていませんでした。ただ自分の関心に素直にのっとって動いていれば、無関係だった別々のものどうしが何かがきっかけとなり繋がることがある、ということなんでしょう。
■ 地方の文学館でテレビゲーム展を開催する・バックナンバー
https://note.com/hilow_zero/m/m535d51202b05