盾にはなれないかもしれないけれども。
こんばんは、hiloaki.kです。
今日は短く、小さな祈りを。
僕はSNSで何かを語る上で、できるだけ意識したいな、と思っていることがあります。
それは無条件に「褒める」ことです。
褒める、だけ。
素敵だな、と思ってそれを言葉にする。
僕はあまり文章を書くのも短い言葉で誰かを感動させることもできないけれど、自分の気持ちを140字内で出し尽くそうとします。
でも、それは文字の羅列による暴力を受けた人を守る盾にはなれなさそうだと。
この言葉で武装させてあげることはできなさそうだと、痛感してしまう時は多くあります。
どれだけ素敵だよって言葉を先に伝えていたってたぶん鋭利な言葉の前では打ち砕かれてしまう。言葉はそもそも防御力より攻撃力の方が圧倒的に高い。
それでも僕はたぶん延々と褒め続けます。
言葉は盾にはなれないかもしれないけれども、せめて傷ついた心を癒す薬にはなれるかもしれないと願っているから。
追伸
今回のことの本質は単純なSNSにおける言葉の暴力だけではない、もっと大枠の、誰かを扇動するようなメディアのあり方のことかもしれません。そのことは議論されるべきだとは思います。
ただ、その議論の大きさは到底抱えきれそうもありません。
僕はせめて自分の手が届く範囲で。精一杯の気持ちを語れたらなと思っています。
どうか、安らかに。
サポートいただけたら嬉しいです。のんびり写真を撮り続けています。