【ヤニクラ日記】2024年8月27日
現実と比喩の隙間に漂う荘厳なる空気を懸想する。
今此処に私の抱える陰鬱なる感情がある。この感情を何かしら比喩するならば、私は今泥濘の中に居るであるとか、深い海の底に沈んでいるなどと表現する事が出来る。表現者たる私は然ることながら、読者はこれらの言葉の繋がりを以て、明確な負の印象を脳裏に浮かべるであろう。
しかしながら、その印象は先刻述べた私の陰鬱なる感情が先んじて存在するからこそ、生まれるものである。単に泥濘の中、深い海の底と目にすれば、どうだろう。読者の中には、肥沃な泥の中に存在する節足軟体問わずうねうねした素敵生命体を想像する人も居れば、海底付近を黒い巨体と鰭をくねらせながら悠然と泳ぎ、炯々たる目をして、スベスベマンジュウガニを追い回す鮫を想像する人も居るだろう。その5m程離れた所ではチンアナゴが青空に恋焦がれ、有りもしない翼を妄想しては悶々としている筈だ。発想は自由である。
つまり比喩においては、人の持つ感情こそが、意味を限定するのである。抱く感情によって比喩は、温かい卵スープにもなり、冷たい雪にもなり得る。
そこに存在する美しさの可能性と不可能性を追求せねばならぬ。その為には、喜怒哀楽からなる感情の高潔さを保たねばならぬ。日々の出来事に揺れ動かされる心。不感症になってはならぬ。初めまして、ありがとう、ごめんなさい、さようなら。これらからなる人生を無下にしてはならぬ。祈る様に丁寧に生きたい。
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