おふくろの覚悟
わたしは脳性小児麻痺という病気あるいは障がいを持って生まれて来ました。手足に麻痺がありましたが、普通の方と比べると時間が掛かりましたが自力で歩くことも字を書くことも出来ました。ただ言語障がいがあり初対面の方に対しては、ほとんど話が通じませんでした。
知能指数には問題はありませんでしたが、特殊学級に入るように勧められました。おふくろは何度も何度も市役所や市の教育委員会へ通い普通学級に入れるように必死で説得したそうです。その甲斐があって、わたしは小学校も中学校も普通の学校の普通学級に入る事ができました。
今から半世紀(50年)以上も前の話です。まだ障がい者が今日の様に世の中に認知されていない時代の話です。特殊学級に入れれば必要以上に心配することもないだろうに、なぜ普通学級に入ることに拘ったのか最近考えることがあります。そこには、おふくろの覚悟があったんだと思います。
普通の小学校の普通学級に入ることは出来たのですが、当然ながら回りには障がいを持った友達はいませんでした。「どうして僕だけ障がいがあるの?」「僕もみんなの様になりたい!」と子供ながらにも、悩む日が続いていました。
そんな中、母と重度障がい者支援施設に見学に行きました。そこには寝たきりで話すことも出来ない子供たちがいました。
こいつら俺を見て笑っている
まるで「よく来てくれましたね」とでも言うように、綺麗な優しい瞳で笑ってくれました。
障がいが重いとか軽いとか、そう言う考え方は好きではないけれども、この施設を訪れたことが、わたしの人生の拠り所の一つになった事は確かです。
いじめは、なかったと言えば嘘になるけれども当時のいじめは今の様な陰湿ないじめとは違いました。友達の中に必ず「止めろよ」と言って、手を差し伸べてくれた友達が必ずいました。わたしを、いじめた(いじめっ子の)友達が涙ながらに「いじめの理由」を話してくれた事もありました。
運動会や体育祭が近づくとクラスメイトの親御さんから電話がかかってきました。「クラス対抗リレーに出場しないで欲しい」と言われました。足の遅いわたしが走ると最下位になってしまいクラスメイトのモチベーションが下がってしまうからです。それでも「僕が挽回するから一緒に走ろう!」と言ってくれたクラスメイトもいてくれて精一杯はしりましたが、やはり結果は最下位でした。
ここからは、わたしの想像の域でしかありませんが、おふくろは運動会や遠足、学芸会など一つ一つ壁にぶつかる事で社会に出て困難にぶつかったときに、その困難を乗り越えるための道しるべを示してくれたのだと思います。