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残りの人生を一緒に生きるための人生会議

お正月、88才の父はいつもの席でお酒を飲みながら、しゃぶしゃぶを美味しそうに食べていた。

そこから3日後には完全に脚が麻痺してしまった
一週間も経たないうちに、お水が飲めなくなり
手も痺れ、声もほとんど出なくなった。
年末までシルバーセンターから貰った仕事をしていた父がだ。

検査の結果

ギランバレイ症候群…

症状がとてもキツく出ているのと、あと…年齢が年齢ですから…

転院先での専門医の
症状は落ち着いても、完全に麻痺した下半身の回復の見込みは少ないとの含みの言葉だ。

81歳の母は…

4年ほど前に罹患し薬で抑えていた
多発性筋症が再発して、また別の薬を併用し
ようやく痛みが落ち着き、CRPの数値も正常値に近づいて来ていたが
大腸の検査で幾つか少し大きめのポリープが見つかり内視鏡下で取るために入院をすることになっていた。
コロナ禍、父を受け入れてくれる専門医が常駐する病院がなかなかみつからない間に母の入院日がきた。

お父ちゃんが病院変わる時私がついていかなあかんねん。

という理由で無断のドタキャンをしてしまった。

先生がお父ちゃんの事あるからいつでもいいと言うてくれはった。
それを信じていた私の職場に
お母さんとご一緒ですか?と電話があり発覚

父が動けなくなってから
しっかりしないと!と一生懸命気を張り
子供達にも迷惑をかけられへんと変な気の使い方をしてしまう母の気持ちは痛いほどわかる。

はじめの病院で何が原因で症状がでているのか
あれこれ検査をしていた時

母と病院に下着やタオルの洗い替えを持って行った。
病棟の看護師さんに
今日は呼吸の調子が悪く、肺がうまく広がらないから酸素がなかなか入っていかないことを伝えられる。一時的に酸素をMAXでいってもサーチが80%しかとれなかったと

その帰り道、駅までの道を迷いながら歩いているとき母がポツリと言った。

お父ちゃん、帰ってこられへんかもしれんなぁ…

そやなぁ、それは覚悟しといた方がいいかもしれんなぁ。

お母ちゃんはな、お父ちゃんの延命処置はイヤやねん。
お母ちゃんにもせんといてほしいねん。

そうなんや、わかった。
姉弟集まってちゃんとそこら辺のこと話ししような。
お腹すいたなぁ何か食べて帰ろか〜
そやな、なんか身体のぬくもるもんがいいわ〜
ゆる〜く話しながらやっと駅にたどり着いた。

それからの 無断ドタキャンである。

歳いってんねんから、あれこれ病気を探さんといて欲しいねん!
ポリープやガンがあってもいいねん。

そうやなぁ、でもお母ちゃんの先生は今の病気が悪くなる原因の一つにガンの可能性もあるていうてはったしな、その元を取っておきたいんやて

痛みを取るだけの治療じゃなく
残りの人生を生きる為の治療をしていきたいと思っています。
寝たきりになったんじゃ意味がないですから。

母の主治医の言葉…

お母ちゃん、先生は病気を探す為にポリープ取るって言うてはるんとちがうから今回は先生の言う事聞いとこな
お父ちゃんの転院先決まって治療が始まってからでいいねんからな?
母は渋々受け入れた。

転院の日
父は受け入れ先の病院に介護タクシーで向かう事になった。
鼻にマーゲンチューブを入れてストレッチャーで病棟から降りて来た父。
入院してから、10日振りの再会だ。
その日は自発で呼吸が出来ていた。
顔色も良くて安心した。

水 飲みたい のに 飲まして くれ へん
私の顔を見るなり、息にかすかに声が混じってる程度の声で訴えた。

水なぁ…水はのまれへんなあ
看護師さんに口を浸してもらえるか尋ねてみてあげるわな
水 飲みたい ねん
しもた 水 買うといたら よかった

動けなくなってるのに 水を買っとけばよかったと言う父がちょっと可笑しかった。

母の
やっと専門の先生に診てもらえる病院行くから
頑張りや、寒ないか。

の声に目を閉じて頷いていた。

介護タクシーに乗って淀川沿いを走る。
ストレッチャーに寝かされ横の窓を見ていた父が
ここ ながら ばしや
と言った。
ながらばし?淀川にかかってる橋か?
そや

そう言ってるうちに車は左折して橋を渡った。

長柄橋

一瞬そう書いてあるのが見えた。
ホンマや!お父ちゃんすごいな!
そう言うと、目を閉じて頷いた。

父は、銘木屋をやっていた。
トラックに木をいっぱい積んで、配達するのを思い出した。

子供の頃、ギシギシと音のするトラックに乗せてもらってよく配達に着いて行った。

長柄橋のあたりにも得意先はあったんだろうな。

父は昔配達で走った道を、今どんな想いで走っているんだろう…そう思うと胸がチクリとした。

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病棟に入ったら、もう面会は出来ない。
介護士さんにしてやって欲しい事お願いしたら、快く受けてくださった。
主治医からの説明も、病棟の多目的ホールのようなところで聞いた。
治療とリハビリで約ひと月ぐらいの入院になる。
師長さんもとっても、安心感の感じられるあったかい明るい人柄だった。
手続きを終えたらもう日が暮れていた。

スタッフが穏やかな人達でよかったなぁ
朝から何にも食べてないからお腹すいたなぁ

ここでもまた なんか食べよの話をしながら駅にむかう。
私たち母娘って…
でも、母の顔には疲労の色がどっと出ていた。

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お父ちゃんが施設に入ったら、ここは広すぎるし家賃も高いから、引っ越しせなあかん。
今のうちに要らんもん整理していきや。

両親と同居している弟が食事をしながら言った。
母の顔が一瞬にして曇り疲労の重さが増した。

ときに、人生会議はシビアな内容になる。

とてもデリケートな議題なのに…

長柄橋や…と出ない声を振り絞って言った父
目を閉じて頷いた父の心の中では
元気な父と今の父が会議をしていたのだろうか?

弟の話しをうなだれて黙って聞いていた母
うつむいて目を閉じた母の心の中では
どんな時も前向きに頑張ってきた母と今の母が
会議をしていたのだろうか?

母にシビアな事を何の前置きもなく話した弟
心の中でどんな会議をしていたのだろうか?

そして私、うなだれた母を見て
うちに来たらいいやんと簡単に言えなかった。
そんな自分がイヤだった。

母に、父と母の人生をゆっくり話してもらおうと思う。
ちゃんと母の生きて来た道のりを肯定して
そのうえで処分ではなく
母の主治医が言ったように
残りの人生を生きるための断捨離をしようと
伝えようと思う。
そして
イヤじゃなければ私のところに来たらいいと。

人生が終わる時は
この前駅までぶらぶら歩きながらした約束を
ちゃんと守るからと伝えよう。

いっぱい話したから、お腹が空いたなぁって
笑えるような、そんな人生会議にしよう

そして、呼吸困難と闘いながら
発症から4週間目やっと治療が始まった父に

検査までに、一度呼吸停止してしまったけれど
担当してくれた病院の皆さんに助けてもらい
なんとか戻って来た父に

こんな人生会議をしたよって議事録を提出しよう。

父は目を閉じて頷いてくれるだろうか…

































































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