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6/27 男のメンヘラは自然食品のような顔をしている

メンヘラといえば、まず恋人に首を絞められるのが好き。カメラを持って出かけ、不意に写真を撮り、家に帰ってイチャイチャして首を絞められる。そのあと午前3:49分、Twitterに「生きてるって感じがする。」と投稿。早朝に起きると、恋人が狭いベランダで缶のポタージュを飲んでいる。

恋人「……おはよ。寒くない?」

メンヘラ「うん……(外を見て)なんか寒い朝って、すごい青いよね」

恋人「空気感とかね(?)。……飲む?」

ポタージュ缶を差し出す恋人。

メンヘラ「ありがと」

鳩の鳴き声。

恋人「この鳴き声、朝しか聞かないかも。……(ポタージュの缶に目をやり)あったまった?」

メンヘラ「うん。いや……ちょっと寒いかも笑」

恋人「(風が吹いて)……そうね笑」


じゃあ中入れや!!!

中入れよ寒いなら。ベランダにいるから悪いんだよ。ポタージュ飲んでないで中入れよ!!青って感じがするのも寒いからだよ!!メンヘラは野菜ジュースとか飲めよ。夜更かしがお前の精神を失調させているんだよ。早く部屋の中に入れ!!!!!

というわけで、今回は「メンヘラ」についてです。最近、なぜか複数の友人から「自分はメンヘラなんだ……」と言われることがあり、ちょっと考えてみようと思った次第です。


「異常な欲求を行動に移せているのならば、苦しまないのでは?」

ところで、皆さんはメンヘラについてどのようなイメージをお持ちでしょうか?リストカット?鬼電?平然と嘘をつく?まぁ色々と挙げることはできるでしょうが、おそらくどの行動も「異常」であり、メンヘラがメンヘラたり得るのは、そのような「異常」な行動をとってしまう欲求を抱えていることによるという解釈については、みなさん一致するところではないでしょうか。

しかし、一つ疑問があります。

メンヘラが「異常な欲求」を抱き、その発露として「異常な行動」に出ているとすれば、それは「自身の欲求を行動に移している」ということになるでしょう。外で遊びたいと考えた子供が、家を出て公園で駆け回っているのと同じです。では、その子供は苦しんでいるでしょうか?

もちろん、苦しんでいません。自分の欲求を実現しているからです。当たり前ですね。では、メンヘラはどうでしょう?恋人にかまって欲しくて鬼電を掛け、無事電話をすることが叶ったメンヘラは果たして、「苦しんでいない」のでしょうか?

苦しんでいる、と思いませんか?もちろん、相手が電話に出た瞬間や、その最中は多少こころ安らいでいるかもしれません。しかし、そのような局所的部分にフォーカスせず、「メンヘラは、異常な欲求を異常な行動に移してしまう存在である」と捉えた場合、大きな問題があるように思います。欲求を行動に移した人間は満足するはずですが、メンヘラは欲求を達成して尚「苦しんでいる」からです。

そもそも「異常な欲求を抱き、異常な行動をとってしまう」存在をメンヘラと考えたとき、それは「自分勝手」とどのような差異があるのでしょうか。おそらくですが、まさに「自分勝手」こそ、単に「異常な欲求を抱き、異常な行動をとってしまう」存在です。彼らはその欲求を行動に移したことで苦しんだりはしないでしょう。先の外で遊びたがる子供と同じように、自らの欲求を実現させた彼らはむしろポジティブな心持ちでいるはずです。

しかし、メンヘラは違う。確かに異常な欲求を抱き、ときにそれを行動に移してしまうことは確かでしょう。しかし、そのプロセスには単なる「自分勝手」と状態を異にする、別の要因が存在すると考えています。そしてそれこそが、彼ら/彼女らをメンヘラたらしめ、「欲求を行動に移しているのに苦しい」という状態に陥らせるのではないでしょうか?

異常な欲望を抱えている人間が、異常な行動でそれを発散できたなら、満足できるはずです。仮に、メンヘラが自我を抑制することなく思いのままに垂れ流しているのであれば、それは結構心地良いはずではないでしょうか。彼ら彼女らが苦しそうに見えることの説明がつかないのでは?と感じます。

おそらく、メンヘラの内面に沸々と煮詰まっているのは「異常な欲求」だけではないのです。では何が?

結論からいうと、おそらく、多くのメンヘラは単に異常な欲求を抑えられないが故に異常行動へと走ってしまうのではなく、欲求と自己規律の両方が過剰であることによって暴発しているのではないかと思うのです。

つまり、「メンヘラ」は異常なクソデカ感情に基づく欲求を抱えているだけではなく、同時に人並み以上に利他的であったり、自己抑制的な側面があるのではないでしょうか?その両立不可能な二つを一つの心で処理せんとすることで負荷が限界に達し、異常行動へ至るのではないか、と自分は思っています。

確かにメンヘラたちは、自己承認、自他の境界性の薄さ、あるいは主体性の無さから「異常な欲求」を抱えているかもしれません。しかし同時に、そのような欲求を口にしてはいけない、求めてはいけないという抑圧意識も根深くあるわけです。他の人であれば「それぐらいなら良いんじゃない?」という要求すら「こんなの異常だから求めちゃダメだ」と押し殺してしまう。その欲求と抑圧の葛藤が過剰な負荷を生み、精神の氾濫を起こしてしまうのではないでしょうか。しかし、その自らの欲求を抑圧するプロセスはごくごく内的に行われ、外部からは観測不可能です。

その結果、欲求が暴発した結果である「異常行動」のみが注目され、そこに至るまでの人並み以上に利他的、倫理的、理性的、抑制的、あるいは規範的性格を省みられることがないのではないでしょうか。これらは世間一般的な「自己中で、非常識で、自分の感情を抑えられず、逸脱的な行動をとる」ようなメンヘラのイメージとは真逆ですが、実は彼ら/彼女らは両方の側面を持つ(それゆえにバランスを崩したときに暴発する)アンビバレントなパーソナリティを持つのではないか、そして一般的な「メンヘラ」イメージはその片面にしかフォーカスしていない不十分なものかのではないか……と思うのです。(もちろん、これは当事者やその周辺の人にとっては当たり前のことなのかもしれません。)

恋人「……そうなんだ」

メンヘラ「……うん」

恋人「朝の空気って……青いね」

メンヘラ「……うん」

風が吹く。

恋人「……寒いね」

じゃあ中──

恋人「中入ろうか」

メンヘラ「うん!」

俺「………」

俺「そうして、二人は部屋の中に入っていきました。ベランダに残ったのは俺だけ。飲みかけのポタージュを口に持っていくが、足に溢す。クソ熱い。死にたくなってきました。
 中央線沿いの安いのに小綺麗なアパートのベランダには、前の住人が細い字で書き殴っていったメッセージが。エモい邦画ポスターのタイトルかな?
 無性に腹が立ったのですぐそこを歩いていたカップルに缶を投げつける。「お前らッ!「花束みたいな恋」してるかァ〜?????」そう叫んだ俺を見るやいなや、男が『AKIRA』のクソでかい単行本を投擲し、俺の脳天はカチ割られた!!!ああ死ぬ!!!!
 どうせあいつは『AKIRA』なぞ読んだことはないのだ。棚に飾っているだけなのだ。俺は違う。俺は『AKIRA』も『ナウシカ』も読んだし、丸尾末広も古屋兎丸も読んだ。好きな漫画雑誌はビームコミックスだ。俺こそが一人ヴィレッジ・ヴァンガード、どの店員よりセンスあるポップを書けるであろう俺が、自然食品みたいな身体をしたクソエモ・チル太郎に負けるはずがないのだ。
 しかし俺は負けていた。現に今負けている。俺は一人だからだ。二人が入っていった部屋を覗くと、メンヘラは再び首を絞められた後のようだった。その顔色は、寒い朝の空気と同じに見えた。

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