[10]ベネッセ創業者一族(その6) ~オープン・ソースから考える中国のサイレント・インベージョン
先回からの続きです。
先回はこちらの記事[9]になります。
最初からはこちらの記事[5]をどうぞ。
福武財団(続き)
犬島精錬所美術館の狙い
同じ理屈で考えると、地中美術館以上に赤字垂れ流しになるのが見えている犬島精錬所美術館。何故、更に不便な場所に取って付けたような理由で美術館を作る必要があったのか考えてみます。
やはり、監視が任務の一つであろうと思います。ただし、費用対効果を考えた場合、別の任務もあると考えられます。残念ながら、今のところそれは分かっていません。手入れが行き届いているかというと、画像を見る限りどうなのだろうとも思えるので、意外に費用が掛かっていない可能性もあります。
では、監視だと仮定して何を監視するのかなどを説明します。
赤のラベルが、福武財団ビル(直島)、ベネッセの宿泊施設やミュージアム(直島)、犬島精錬所美術館(犬島)、總一郎氏の妹の美津子氏の運営する宿泊施設(豊島)になります。
青の破線が、フェリーの航路です。基本的に自衛隊の艦船もこの航路に似たルートを取るはずです。神戸や明石からのルートの場合、犬島と豊島の間のルートで、大阪や和歌山方面からのルートの場合は、小豆島の南側を移動するルートでしょう。
ベネッセの施設で監視できるのは小豆島南側のルートのみです。北側のルートを監視できません。豊島と犬島で小豆島北側ルートを南北で挟む形で監視していると考えました。
では、犬島ではどの様に見えるのか。ストリートビューで確認できますが、思いの外、見晴らしが良いのが分かります。画面中央の島影は、小豊島ですので、その手前を通過する船影は良く見えることになります。
同じく豊島にある美津子氏の持つ宿泊施設「ウトミタ」から北側を見たときの風景です。中央に見えるのは船影です。解像度が低いので船の詳細は分かりませんでした。(フェリーっぽい船影でした)こちらの施設は航路から少し離れているので、偶然なのかもしれません。
直島にある「ベネッセハウスビーチ」です。他の施設も周辺にあるので、同じ景色でしょう。窓から見える左側の島影は女木島で、その右は高松港が見えます。船影が幾つも確認できます。
もう少し俯瞰して見てみます。本州と四国を結ぶルートは3つあります。東から、明石大橋・大鳴門橋ルート、瀬戸大橋ルート、来島海峡大橋ルートです。これら大橋は、瀬戸内海が狭くなっているところに掛けられています。工事費からすれば当然です。直島は瀬戸大橋の東側に位置し、航路が限られているために監視するには絶好のポイントと言えます。戦略的に良く考えられています。敵ながら感心します。
ということは、残り2つのルート周辺にも監視環境が構築されている可能性は十分にあります。
時系列での整理
時系列で整理してみることで、何か見えてくる物があるかもしれません。現時点で分かっていることなどを中心に表にして考えてみました。
1990年頃から直島で活動を開始しています。この時点で中国がどうかというのは分かりません。一部で囁かれている、「第二のパソナを目指していた」との可能性は高そうです。パソナにとっての淡路島がベネッセにとっての直島だったのでしょう。接待施設として、ベネッセハウスを建築したというのは考えられる話です。つまり、政治家や官僚とパイプを持つことで政策に影響し、利益誘導をする野望があったのだろうということです。奸雄の類ですね。野心家なればこそ、あそこまで会社を大きくできたのでしょう。
中国と接近する転機は、2001年の中国のWTO加盟にあると考えられます。
https://www.service-js.jp/uploads/fckeditor/uid000003_20140310144147a547277b.pdf
こちらの資料に
”同社では2003年度に「海外、特に東アジアにテリトリーを広げ、事業 を拡大する」という方針を成長戦略の1つに打ち出し、海外展開が本格化した。”
とあります。この資料から總一郎氏が2003年頃には中国事業を念頭に置いていたことが窺えます。
私の勤めていた会社も2003年頃から中国に再進出することになります。そもそも一度中国で失敗していて、冒険をしない会社なのに、再度中国に進出するのは変だと思っていましたが、政府側の要望があったという話を聞いたことがあります。つまり、官邸側が中国推しを強烈にしていたのだろうと考えられます。
そこで考えられる中心人物が福田康夫氏です。2001年に誕生する小泉政権でも内閣官房長官でした(その前の第二次森政権から官房長官)。2002年11月に胡錦濤が中央委員会総書記長に選ばれているので、その頃から、中国が日本に対して誘致を強化する方針にしたことが考えられます。小泉首相は、郵政民営化以外には興味が無いと言われる人であったので、事実上は福田官房長官が官邸を主導していたのでは無いでしょうか。また、田中真紀子氏、川口順子氏らの二人の外務大臣をスルーして外務省を直接指揮したとも言われています。胡錦濤国家主席のカウンターパートは実質的には福田官房長官だろうということです。外交方針を完全に握っていたでしょう。
福武財団に居る丹呉泰健氏は当時の首相秘書官でしたから福田官房長官とは頻繁に顔を会わせていたことになります。更に、福田康夫氏と福武總一郎氏は共に早稲田大学出身です。学部や時期は違いますが、野心家の總一郎氏が福田康夫氏に接近しない筈がありません。そういえば、早稲田大学には孔子学院がありましたね。国防7校とも提携していますし。
調べてみると接点が複数ありました。
2001年の福田康夫が官房長官時代に、内閣府の男女共同参画会議の調査会のメンバーとして福武總一郎が選出されています。森喜朗首相(当時)と同じ清和会で官房長官という立場の福田康夫が参画会議の議長として差配するのは当然でしょう。そして、続く小泉純一郎(清和会)政権下でも男女共同参画会議の議長として福田康夫官房長官が続投しています。
また、米日カウンシル評議員会で接点もありました。2009年に設立された団体のようなので、これはどちらかと言えば後の方での接点ですね。
https://www.usjapancouncil.org/wp-content/uploads/2019/10/USJC_2014Report_JapaneseFinal_Reduced.pdf
ところが福田官房長官は2005年5月に辞任してしまいます。一時的にベネッセの中国進出は低調になるのでは無いでしょうか。そこに再度好機が訪れます。福田政権の誕生です。ベネッセ100%出資での中国進出は、福田首相の後押しも有ったのかもしれません。
2003年に中国進出の意欲が盛んだったことから、中国共産党上層部との政治家を介した接触があったのでしょう。(中国とのビジネスは日中友好議員連盟を通さないと上手く行きません。)
中国と接触した2003年当時に「取引」もしくは「トラップ」に掛かってしまった可能性が考えられます。中国共産党の上層部に接近してきた總一郎氏に関する調査は当然行われているはずですので、直島についてはその際には既に知られていたことになります。そこに利用価値を見出して、福武美術館財団(現福武財団)や地中美術館を作る結果になったというのが仮説です。要求はどんどんエスカレートして行ったことは容易に想像できます。ベネッセの中国進出の代わりに、ニュージーランドでの活動を求められたのでしょう。それがefu Investmentなどです。
以上が現時点での私の推測です。
今までの内容を簡単な相関図に纏めました。
前の私の記事で指摘した福武財団のビルについては、2018年にあの場所に事務所を移転したことが書かれていました。その前の事務所の位置は分かりませんでしたが、ビルは2018年6月に完成した可能性が高いと考えられます。2017年に重要土地取得規制法案の概要が出来上がっていますが、そのタイミングで中国による土地取得工作が活発化しているのは、他の事例でも確認できていますので、一致します。残念ながら、永田町や霞が関に売国奴がいる証でもあります。2017年頃から工作が活発化したのは、法律が出来てしまう前に土地を入手してしまう意図です。その法律も骨抜きで殆ど機能しませんが。
たまたま知り合いにあの辺りの出身の方が居て話を聞くことができました。三菱マテリアルは金の精錬、犬島の精錬は銅とのこと。「何であの場所に美術館を作ったのか皆不思議に思ってた」と言っていました。今は3年に一回、芸術祭で島が盛り上がっているのだとか。犬島は何も無いし、行くのには不便だと言っていました。瀬戸大橋が出来て以降、瀬戸大橋辺りはフェリー会社が無くなって、今は一社のみの状況です。「ベネッセという名前に変わってから、あの会社は何か怪しくなったよなぁ」とも言っていました。
さて、福武財団については一旦終えます。お付き合いありがとうございました。
と言っても、福武家については続きます。
追記
面白い物を見つけたのでメモがてら追記します。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000047151.pdf
石井正弘参議院議員(岡山県選挙区)は安倍派(清和会)なので、2006年当時の清和会に居た福田康夫とは近い関係にありそうです。ただし、2006年時点では、石井正弘は岡山県知事です。
(続く)
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