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私と心は別。 心は私が創る。
”思考や感情”と”自分”とを同一視しない。
「私は辛い」ではなくて「私に辛さが起こってる」(”来てる”でも”湧いてる”でも何でも可) と知ること。
ただ起こってくるだけ思考や感情は、自分とは別のモノだという真実に気づくこと。
勝手に起こってくる思考や感情を、自分自身ではないモノとして眺める。
「辛いのか〜」とか「しんどいのか〜」「怒ってるのか〜」と認めて流す。(無視するとか、無いものとするのではなく、一度キチンと認識する)
初めのうちは、古い習慣に縛られていて簡単に流せるものではないので、その場合「流せないのか〜。掴んでるのか〜」と認める。
既に起こったことを、起こったこととしてただ観る。そして、掴まず、流す。
既に起きてしまったことに精神的に抵抗しても仕方ない。”今”できるのは、感情は感情として”味わい”、物事はただただありのままに受け止めて理性的に適切に(その時点での己のbestで)対処するよう意識的で居ること。
精神的に抵抗することが、既に起こった過去のモノを自ら掴んで引き留めているという事実を、アタマでなくハラで理解すること。
思考や感情は、勝手に湧き起こって流れ来るモノなので、それらを直接的にどうこうすることは不可能。
既に起こってしまって今は済んでいることを自ら掴んで離さない間だけ、苦しみなどが続く。
それは『自分で自分の首を絞めてる』ということ。
自分で自分の首を絞めて、自ら苦しみを産んでしまっている愚かさに本当に気づければ、自然とその愚かさは消えていくしかない。
実体の無い闇を消そうと暗闇をまさぐっても無駄です。
闇を直接的に消せる人は一人も居ません。
光を当てれば、同時に闇は消えます。
長い間に染み付いた心の習慣を、少しずつ新しい習慣に置き換える。
良くない習慣を繰り返していた同じくらいの期間がかかるのを覚悟して地道に続ける。
続けてさえいれば、新しい習慣は必ず、続けた分だけ、根付き、積もって、いく。
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