20190815
テレビの中の権力の源泉がよくわからない人についてたまに考える。ヒロミとか。
テレビというのは基本的にビュッフェというかショーケースというかオールスターというかスマブラなので、え、サムスって女だったんだ、みたいなことを無数に発生させながら進む。
なんらかの「発表会」を終えた人しかいないので、よく知らなくても「ああ、なんかいつかどこかで良かったんだな」ということになる。
その「いつかどこか」を知らないと、担保のない債権とか出典のない論文とか出汁のないお吸い物みたいな感覚がつきまとう。
そういう事情をすべて加味してもヒロミは偉すぎる。
裏付けのない紙幣、出典のない論文、出汁のないお吸い物、ヒロミ。
あと、源泉がわからない、わからないんだけどなんとなくわかる、わかれと言われてる気がする、というところで北島三郎。
高尾山の寄付板見ると毎回「そこまで!?」となる。紅白で歌ってる姿から窺いしれるチカラの大きさの、さらに上をいく寄付板のデカさ。ファミリーの多さ。ファミリーってなんなんだよ。