
力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画(かぎ)れり。
論語
この言葉は、孔子の『論語』の中の一節で、弟子たちに対する教えの一部です。
力足らざる者(りょくたらざるもの)
「力足らざる者」とは、文字通り「力が足りない人」のことです。ここでの「力」は、物理的な力だけでなく、知識、知恵、努力、意志などの総合的な力を指します。
中道にして廃す(ちゅうどうにしてはいす)
「中道」は「途中」という意味です。「廃す」は「止める、やめる」という意味です。つまり、「途中で諦める」や「途中で挫折する」という意味になります。
今汝は画(かぎ)れり)
「今」は「いま」、つまり現在のことです。「汝」は「なんじ」、つまり「あなた」を指します。
「画れり」は「限界に達する」や「区切りをつける」という意味です。つまり、「あなたはすでに限界に達している」ということです。
全体としては、「力が足りない者は途中で諦めてしまうが、あなたは今、限界に達している」という意味になります。
孔子は、弟子に対して、力が不足していると途中で挫折してしまうことを指摘し、今の状態では限界があることを示唆しています。
孔子(孔夫子、紀元前551年~紀元前479年)は、中国の春秋時代の思想家であり、儒教の創始者です。『論語』は、孔子とその弟子たちの言行録であり、孔子の教えや生活の姿勢が記録されています。

儒教の中心的な教えは、「仁」(人間愛、徳の総称)、「義」(正義)、「礼」(礼儀)、「智」(知恵)、「信」(信義)などです。これらの徳を身につけるためには、絶え間ない努力と自己修養が必要であるとされます。
孔子は、学問や徳を追求するためには、中途半端な努力ではなく、継続的な努力が必要であると考えていました。この言葉も、そうした教えの一環として、弟子たちに対する戒めの言葉として語られたものです。

この言葉は、弟子たちが途中で努力をやめてしまうことを戒めるためのものです。孔子は、学問や徳を追求する道は厳しく、途中で挫折してはならないと強調しています。
「今汝は画れり」とは、弟子が限界に達していることを示し、その限界を突破するためにはさらなる努力が必要であることを伝えています。
この言葉は、現代においても多くの教訓を含んでいます。例えば、何かを成し遂げようとするとき、途中で諦めずに最後まで努力し続けることの重要性を教えてくれます。
特に困難な状況や挫折を感じたときに、この言葉を思い出すことで、自分の限界を超えるための努力を続ける励みになるでしょう。
#孔子 #論語 #仁義礼智信