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亡き母が霊魂不滅を信じたきっかけ

この絵は、亡父が描いた母の肖像画です。母は46歳で早逝しました。

明治の最後に生まれた父は、画家👩‍🎨を志し美術学校で学びましたが、絵筆🖌を捨てて画商に転身、東京銀座でギャラリーを営んでいました。

大正11年に京都の商家で生まれた母は、服飾デザイナーを目指して、東京赤坂の専門学校に入学しました。写真は在学中に撮ったようですが、一人だけ洋装で写っているのが、若き日の母です。

明治のモダンボーイと、大正モダンガールの合作が私です。

銀座の画廊は東京大空襲でガレキになり、京都への疎開を余儀なくされました。母方の祖父が所有していた、借家の一軒に住むことになりました。

欧米文化に憧れていた母ですが、日本や東洋の古典を愛する、文学少女でもありました。小学生から書き始めた日記は、ガンを患い黄泉に旅立つ直前まで欠かしませんでした。

日記が証明する奇怪なできごと

母が女学生の夏休みに、事件が起こりました。一歳違いの姉と、京都河原町を歩いていたときに、偶然クラスメイトに出逢いました。
「元気だった。新学期も間もなくだね。また、勉強がんばろうね」。
短い会話を交わして別れました。

日記には級友の名前と一緒に、その日のできごとを書き留めました。

血の気がひいた二学期の始業式

全校生徒が集まる二学期の始業式で、校長が級友の訃報を伝えました。

「悲しい報告があります。○○組の△△さんが、7月○日に、川で遊泳中に事故で亡くなりました。全員で黙祷を捧げましょう」。

 講堂が静寂に包まれる中、母は全身の血が凍りつきました。級友が不運な死を遂げたのは、母たちが彼女と出逢った一週間前だったからです。

 母の思い違いではなく、毎日欠かさずつけていた日記に加え、一緒にいた姉という証人がいるのです。プールなどなかった当時は、川や湖、海で遊泳するのが当たり前で、夏休み中の災難は繰り返されていました。

母子連れだっての寺社巡り

女学生時代の神秘体験は、「小学生になったばかりの私に、「霊魂不滅」「輪廻転生」などの、四字述語とともにすり込まれました。「走れメロス」や「小泉八雲全集」など、スピリチュアル系の本が、どっさり買い与えられました。

休日には母と二人で、鞍馬や大原など、郊外の寺社巡りをするのが習慣になりました。巡回バスもまばらで、いくつもの峠を徒歩で越える苦行でしたが、大声で歌いながら歩く母は、まるで少女ように映りました。

私は霊視や霊感に秀でた霊能者ではありませんが、20数回も死の淵から帰還できたのは、幼い頃からの寺社詣でと、母の見守りのたまものだと感謝しています。

個人鑑定のご要望があれば、TwitterのD M、またはURL(http://hikoden.biz)のお問い合わせコーナへお寄せくださいますように。

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