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ブラジルの開拓地での実体験

今年は例年より20日も早く梅雨入りが伝えられています。幼少時に小児喘息を患っていたわたしは、プールの中を歩いているような、ジメジメした蒸し暑い季節が大嫌いでした。太陽の国ブラジルなら、苦手な湿度からも解放されるだろうと期待していましたが、みごとに裏切られました。

わたしが新聞記者を休職して、日本人移民の苦労を体験するために入植した開拓地は、大西洋岸の山脈が連なる山中で、一年の大半がガロアと呼ばれる霧雨が垂れ込めていました。そしてそこは、毒ヘビの見本市のような湿地帯だったのです。

毒ヘビの見本市

カラスのように黒光りするもの、赤や黄色の原色で着飾ったド派手なやつ、毒ヘビの割には図体が2メートル、胴回りはビール瓶ほどもあるデカいやつなど、わたしがカウントしただけでも10種類以上におよびました。奴らはすべてどう猛で鎌首をもたげて攻撃してきます。逃げてもにげても追いかけてくる執念深いのもいました。

血清のないのもいましたが、ベッドに寝かせた赤ちゃんのお腹の上に、毒ヘビがとぐろを巻いていた話も聞かされました。ヘビの話は稿を改めるとして、今日は谷間にさまよっていた霊の話をさせていただきます。

金縛りにあった生温かい風

わたしが入植した開拓地のふもとには、人家もまばらな小さな村がありました。そこには50坪ほどの板張りの小屋がありました。一応、公民館という触れ込みですが、天井には星が見えるバラックです。わたしはその小屋で、農作業が終えた夜に現地のブラジル人青年には空手を、幼い子供たちには日本の唱歌を教えていました。体育や情操教育の乏しかった現地の青少年が対象でした。

植民地から村へ降りるには、ポンコツのトラクターで、いくつもの峠を越えるのですが、ある場所に来るとピタッとエンジンが止まってしまうのです。冬には霜が降りるほど冷えますが、谷底から生ぬるい風が上がってきて、辺り一帯が不気味な空気に包まれるのです。

トラクターには小型の荷台を連結していましたが、その荷台にカタンと音がして、誰かが乗った気配がします。ショットガン(散弾銃)を握りしめるだけで、荷台を確かめる勇気がありません。

月のない夜は漆黒の闇が広がりますが、脇の下からあぶら汗が吹き出し、祈る気持ちでエンジンキーを回すのがやっとでした。

谷底にあった一家全滅の廃墟

1年ほどたって、現地のブラジル人たちとも顔なじみになったころに、「このあたりで過去に、不幸な事件が起きなかったか?」とたずねたところ、何年も前のことだが谷間に住んでいた一家7人全員が、病死したことがある」と、教えてくれました。

異常現象の原因は、その家族の霊がさまよっているからではないか。そう判断したわたしは、ある晴れた日に谷まで降りていきました。雑木におおわれて日の光もささないその場所に、朽ちた木の枝が散乱した廃墟がありました。役場さえないその土地で、果たして葬儀や供養が行われたのかは定かではありません。

腐葉土の中から小さな骨も見つけましたが、人間か動物の見分けもつきません。わたしは骨を集めて土を盛り、小さな塚をつくって犠牲になった家族の冥福を祈りました。

その日から1年以上も続いていた異常な現象が、嘘のようにピタッとなくなりました。生ぬるい風に襲われることもなく、トラクターのディーゼルエンジンは、喘ぎながらも止まることはなくなりました。地球の反対側から来た異邦人のわたしに、あの世への橋渡しを託したのでしょうか・・。真相は神のみぞ知るです。

※写真はイメージです。




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