居たい場所
安心できるって何だろう、っていうnote。
宇宙兄弟を読み返してて、NASAとか宇宙に携わる人たちのコミュニティ内での人間関係に支えられて宇宙っていう果てしない夢に向かって未知の領域に踏み出しているような描写が多いのかなって思った。群像劇、的なものなのかもしれないし、毎回ハッピーエンドなストーリーを描く著者だからなのかもしれないけど、生身では簡単に死んでしまうようなフロンティアで度重なる障害に挑戦し続けて次世代にバトンを繋いでいる人たちを支えているものって、そういうところなのかなって思った。具体的なことを書き出すとキリがないけど、「1人だけど、孤独じゃない」みたいな、空気も重力もない宇宙空間で、たとえ1人だとしても、同じ宇宙飛行士の同僚や管制官、技術者、家族、仲間との関係に支えられて、背中を押されて、手を差し出されて、メンタルを持ち上げられるような、そういう感じなのかなって思った。
自分という1人の外に、繋がりや居場所があるって大事だよな。
女性を消費することの何が楽しいのかな。
現代社会の多くの男性が、キャバクラとか風俗とかに癒しを求めてある意味で支えられながら仕事に勤しんでいるのかと思う。もちろん個人の感性の話だけど、キャバクラに行っても、ただ単に露出と派手さだけの上っ面で中身のない内容で、しかも大して会話も回せないような相手だとこっちから話を振らないといけないような、そんな空虚なものにお金を払って女性性を消費することのどこに癒しがあるのかがわからない。身体だけのいっときの快楽で得られるものなんて、たかが知れてる。ましてや、貧富の差によって成り立っているような背景も垣間見えるような業界で、ただ一方的に甘い汁を吸うような、そんな行為に支えてもらえるものってあるのかな。
合コンとかでも、男性性を満たすためだけに女性性を消費するような飲み会の帰り道の虚しさはやばい。何のためにこんなことしてたんだっけっていうお先真っ暗感がむしろトラウマまである。
「奥さん」とか「トロフィーワイフ」とか、つまものとも関連するような「妻」とか、そういうのもモチベーションにはならないよな。そういうことを望む女の人がいるのも確かだろうけど、誰かを枠にはめて無粋な利害関係を作ったところで、それが頑張る理由とか心の安らぎになるのかな。むしろ、そんな利己的で権威主義的でパターナリズムなことへの反発や気持ち悪さみたいなものの方がある、まである。
男尊女卑で家父長的な社会にあぐらをかいていられるほど、現代社会に適応できてない。
完璧主義というコトバを解読してみる。
性格診断的なやつで、完了主義と完璧主義の対比がされていてなるほどなーと思った。今までは、何となく完璧主義者なんだろうなって思ってたけど認めたくなかった。タスクを100%充実させられなくても、期限が近づけば諦めるし、全体から優先順位を考えて妥協することもしてきたから俺は完璧主義者じゃない。だからそこでの生きづらさはないはず、って思ってたけど、80%くらいの完了に満足しているかって言われれば、そんなことないなって思った。諦観も妥協も、しゃーなく飲み込んできた。そういう意味では、どちらかというと完璧主義者なのかも知れない。
だからと言って、生きやすくするために80%で満足しろって言われて「はいそうですか」と言えるほど、柔軟な対応はできない。もちろん、上っ面を装うことはできるけど、それによる精神的な負担を考えれば、対応できてるとは言えない。どうやっても、ストレスがかかってしまうような性格なのかも知れない。
じゃぁ、どんなときに純粋に楽しいと思えるのかって頑張って思い返してみると、ピッタリハマる時は、たぶん純粋に楽しい。自分と同じ方向性で同じペースで同じスケール感で仕事を進められるような、まさに歯車が噛み合うような、そんな時は楽しいし居心地が良い。そんなのは今までの人生で2人くらいしか思いつかないけど。
他にも、求められてる要件定義に対して、持ってるリソースをフル活用して過不足ない事業計画が作れたときも楽しい。頭の中でぼんやりとイメージしていた言語化しにくいものがうまくデザインに落とし込めた時も楽しい。
そんなピッタリハマることを求めていると、完璧主義的な感じになっちゃうのかなと思った。
そういうところに楽しさとか心の安らぎとかを求めるから、無駄にハードルを上げてしんどくなってるんだろうなって思った。ピッタリはめることができない自分への不甲斐なさ、みたいな不満を吐き出すことも向き合うこともまだまだなんだろうなって思った。
帰る場所、支えになるモノ、吐き出せるところみたいな、自分の外に、安心して信頼できる場所があるってシンプルに大事だよな。サードプレイスとかもそうなのかも知れないし、「自立とは依存先を増やすこと」みたいなこともだぶんそう。ストレスの捌け口のために女性性を消費することもなく、ちょっとした部分ごとででもピッタリハマるような小さな歯車を作っていくことが、モチベーションを維持するために大事なのかなって思った。それが、0から10まで自分で作り上げなきゃいけないものなのか、はたまた神の思し召しで偶然の産物によるものなのかはわからないけど。
いやいや、0から作る努力が必要なら今までと変わらんし、偶然を待っていられるほど余裕ないし、偶然を得るための行動力も出ない。
全く解決に至らない頭の整理だった。
低気圧頭痛で寝れない夜の、解決に至っていない、まとまらない内省。
腹減ったな。