【読書感想文】成長の限界
「読書感想文書いて」って言われたから読書感想文書いた、っていうnote。
本のタイトルと著者
成長の限界 ローマクラブ「人類の危機」レポート
著:D・H・メドウズ/D・L・メドウズ/J・ラーンダズ/W・W・ベアランズ三世
監訳:大来佐武郎 タイヤモンド社 1972年
思ったこと
SDGsが大きく持てはやされる中、改めて「持続可能性」の原理に立ち返ることが必要だと思う。
はじめに
この本が刊行されたのは、今から50年前、日本で言えばオイルショックによって高度経済成長が終わるかもしれない、そんな時期に出版された本である。
先に本書の主張の一つを言ってしまうと、無批判に成長を求めている限り、次々に進歩技術を導入してその場の限界を突破しても、いずれはまた別の限界が訪れて、有限なシステムである地球環境のもとで人類社会は破局を迎えるであろう、ということである。このように書くと、2020年に出版された斎藤幸平著:「人新生の『資本論』」のような脱成長論が思い浮かぶが、本書の特徴の一つは経済思想的な論理展開ではなく、科学者・技術者によって書かれていることである。それはつまり、言葉の定義や引用をはっきりさせ、批判を積極的に受け入れ、議論の必要性を喚起することはもちろん、自らが持つ技術を、どのように活かし社会に適用させていくのか、そういった課題から出発した本であると言える。
本の概要
本書の目的は、著者らが構築した世界モデルの主要な特徴と見出したことを簡潔かつ非技術的な形で要約することであり、単に科学者の世界に止まらない、より広い世界での議論の端緒を開くことである。ここでの「モデル」とは、「複雑なシステムに関する過程を秩序立てて集めたものであり、認識作用と過去の経験の中から、当面する問題に適用可能な一般性のある観察の集まりを選び出すことによって、無限に多様な世界のある側面を理解しようと試みるものである」と定義されている。(このような簡潔かつ的確な定義づけが、本書の特徴の一つとも言える)
大まかな論理展開は、人類の日常的な活動に潜む「幾何級数的(=複利的・指数関数的)成長」の特徴と、その主なメカニズムである「正のフィードバック現象」、様々な分野(人口や資本、汚染など)を統合した世界モデルの構築、そのモデルを用いて明らかにされる成長と技術の関係、技術と社会の不可分な関係、そして技術や進歩を盲目的に信奉することの危うさ、このような論理展開を経て、最も基本的な問題である「有限なシステムにおける成長の問題」ということに焦点を当て、「(技術を)成長の意図的な制御と組み合わせて用いられるならば、人類社会の将来にとって極めて重要である」と主張されている。つまり、「進歩に盲目的に反対するのではなく、盲目的な進歩に反対する」のである。経済思想家とはまた違う、科学者・技術者としての成長に対するオルタナティブを問う、そんな本である。
まとまらないまとめ
この本が出版されてからも、数々の科学技術が開発されて社会へ適用され、そしてバブルなども経験してきた。原子力発電がエネルギー供給の根幹を支えていた時代もあり、リサイクルや都市鉱山によって資源の循環は加速し、インターネットは世界中に張り巡らされ、ブロックチェーンは現実世界の垣根を飛び越えるような勢いを見せている。しかし、放射性物質は蓄積し続け、大量生産・大量消費・大量廃棄の仕組みは加速し、サーバーやデータセンター、マイニングによる電力消費は莫大な量となっており、そして失われた30年と言われるようになっている。半世紀も前では考えもしなかったような社会かもしれないが、技術と成長、有限なシステムでの限界、それらは当時の指摘のそのままではないだろうか。
また、「持続可能な開発」と言えば、1987年に国連のブルントラント委員会が定義した「将来世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、今日世代の欲求を満たすような開発のこと」ということも大いに参考になる。ここでの「将来世代」とはもちろん、数十年以上後のことである。つまり、現代の議論の場には登壇できない当事者たちが現代の負債を背負わされることになる。そうならないための「持続可能性」は、技術単体で達成できるものではないのは明らかであり、将来世代のことを考える「社会」が必要なのだと思う。
それにも関わらず、我が国はいまだに「成長と分配の好循環」を唱え、色とりどりのSDGsを持てはやしている。SDGsと言ってアイコンバッジを付ければ良い、そうすればお客さんから評価され、金融機関からはお金が融資され、役所からは一目置かれる。そんな理由でSDGsが浅はかに持てはやされている。しかしもっと大事なのは、カラフルなゴールそれぞれではなく、地球が有限なシステムであると言う事実であり、灰色で地味な地道な議論や活動であり、茶色で地べたを這いつくばるような、そういうことなのではないだろうか。本書は、SDGsが持てはやされる現代において、「持続可能性」の本質を問い、そして考えさせる「古典」なのだと思う。