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心が安らぐ人間関係
安心できるって何なんでしょう、っていうnote。
今日の日中、-3〜+7くらいの比較的同年代の人たちと仕事の準備で作業してる時の話。
「この歳で友達を作るって難しいよね」みたいな話題が出て、「『おはよう』って言って『おはよう』って返ってくればそれは友達なのでは」っていう意見があった。
そういうシンプルな捉え方も、肩の荷が軽くて良いなーって思った。こちらからの意思表示に対して返答があるって、確かに安心できる要素の一つだよなー、とは思った。
「子ども欲しいから年齢的にも早めに結婚したいんだけど、今の彼氏がわがままでしんどいんだよね」って話題も出てきた。
確かに難しい判断だし、時間は待ってくれないし、決断はしないといけないけど、今後抱えないといけない不安も大きくね、って話になった。
そんなこんなな会話の中で、モラハラ彼氏への切り返し方とか、パッケージデザインのコンセプトとか、作業全体の業務効率の話とかで「さすがあらたくん、天才すぎる」って言われても、嬉しくない。
他人から「天才」って評価されても、自分にとっては普通のことだし、多少の努力はしてるかもしれないけど、当たり前のことでそんな大それたものじゃないというつもりなのにそんな過大な評価をされても、「あ、この人とは距離があるんだな」「あ、この人は隣にいてくれないんだな」って感じてしまう。そもそものところが共有できないと、何を言ったところで、空っぽで虚しくて上っ面でほとほと空虚なもので、心の安らぎなんてないんよな。
https://note.com/hikobae_art/n/n639baa1b6038
数日前のオンラインでの仕事の進め方を打ち合わせしてる時の話。
「あらたさんは(人間関係で)食わず嫌いすぎだよ」って言われてしまった。正直、結構、かなり、食いたくないものを飲み込みまくってるつもりでいるんだけどな。
会社立ち上げる時も、(今にして思えば)口がうまい人と一緒に進めるべきかどうかって時に、近しい人からは辞めといたらって言われてたけど、目的のためには選り好みしてられないかなって思って飲み込んでたし、その人の紹介で挨拶に回ったり相談したり協力を仰いだりしてる人たちも、別のところから良くない噂とか悪事を働いているって言う話を聞きながらも背に腹はかえられないと思って飲み込んできた。口がうまいだけならまだしも、大して仕事もできないし知見も持ち合わせていないし、ただの権威主義的な俗っぽい人だったんだけど。
10年後くらいには稼ぎになってるかもしれないけど、今それに時間やお金を投資するためにも、実家で親にストレスを抱えたり空調も間取りも大してないような部屋で暮すことも飲み込んできたし、ある程度の稼ぎを得るために人生の敵みたいな人と事業の立ち上げもしてきた。その事業の立ち上げの話を親に相談すれば、「それだけはダメだろ」って言われながらも飲み込んできた。人生の敵みたいな人と打ち合わせしている時も、こっちが抱えているものをあまり出さないように一方的に気を使わないといけない状況も飲み込んできた。政治的な権力になびいている人たちと同じ空間にいるだけ頭痛がしてくるようなことも度々あった。
前に、「仕事は何をするかではない。誰とするかだ。」ってのを見て、その時はそんなことないだろって思ったけど、今の安らぎがない状況では骨身に染みる。
「馬が合う」とか「ベクトルが合う」とか「意気投合する」とか「一緒にいて楽しい」とか、人間関係の相性を表現する言葉はいろいろある中で、「現状」と「将来」の認識が合ってるのって大事な気がする。置かれている立場とか状況とか、目の前のことや社会のことをどう認識しているのかとか、先のことについてどこを目指しているのかとか、どんな先人のどんなことを参考にしているのかとか、多くの人があまり気にしていないような、暗黙の了解になっている部分だったり、わざわざ口にするほどのことでもないような部分に、お互いに違和感を感じないって根本的に大事なのかなって気がする。むしろ、選択肢の提示が少ない社会環境だったら、特定の思考/志向の枠に収まっているから、良く言えば一致団結できているのかな。
こんなことを言語化している時点ですでに、多くのことに対して違和感や疑問を持ってるようなもので、社会不適合者すぎる。
「社会不適合者」なんて気取った表現でキモいけど、身の回りのことに適合できて無さすぎて、心が安らがない。
八方美人から抜け出す方法。
「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません」って、多分全ての小学生が言われているようなことだと思う。「頼られるのが面倒」「期待されるのがしんどい」「個人的なことに立ち入られたくない」って思って、他人に頼らずに期待もせずに深く立ち入りもしないできたけど、それが友達ができない原因なのでしょうか。
だからと言ってあらゆる方面に対して拒絶してても、新しいことを生み出すことは難しいし、独りでは生活できないし、社会の中では生きていくため、何かしらの目的を達成させるためには、多くの人と接点を持たないといけないから、うまぁーくやってきたつもりだけど、ただ身を削るだけの八方美人だったのかも。いつの間にか四面楚歌でした。(「八方美人で四面楚歌」って、ただ単に言いたいだけ感ある)
他人との距離感を感じながら気に食わないことを飲み込んで這いつくばっていることを八方美人と表現するのかどうかはわからないけど、一旦は今の状況を八方美人と仮定してそれを改善する方法を調べてみても「自分の意見を貫く」「嫌われても良い」「他人の評価を気にしない」みたいな感じで参考にならない。選り好みしてたら物事進まないし、背に腹はかえられないような選択肢しかないし、うまぁーく取り繕うような方策しか思いつかない。
うまぁーく、って何だよ。インド映画かよ。
安心って大事なんだな。それがないと「無理」だよな。そもそものできる理由が無い。マジク○。
頭が痛くて寝れないのか、眠すぎて頭が痛いのか、徹夜続きで眠れないのか、よくわからない眠れない夜のただの愚痴。