第二章 戦場
自分でも気づかぬうちに寝入ってしまっていたようだ。右の頬に固い感触を感じる。寝起きの身体がだるく、まぶたが重い。じわじわと意識と身体が覚醒していく。右の頬に感じている固い感触は、今までに感じたことのない感触のような気がする。自宅のフローリングとは異なり、熱を帯びたコンクリートのようだ。砂まみれなのかジャリジャリとした乾いた粒の感触も感じる。
おかしいな・・・。
そう思った瞬間、地の底からわき上がるような鈍い地鳴りが聞こえた。何かが地面に叩きつけられたようで、自分が横たわっている地面全体が大きく縦に揺すぶられた。今までに経験したことのないその衝撃に、河野は横たえていた身体を反射的に起こした。
そんな河野の目の前には、見知らぬ荒れ果てた都市が広がっていた。
あたりには自動車の残骸が転がっており、一面に砂ぼこりが立ち上っている。目をこらすと、先ほどの衝撃は、すぐそばの高層ビルのせいだと分かった。ビルは、無惨にも横に倒れている。
河野は、ただボーッと周りを眺めるしかできない。どうして自分が今、こんなところに放り出されているのか、全く飲み込めない。夢だろうか?だが、夢にしては、やけにリアルだ。いつの間に擦りむいたのか、右頬の擦り傷が痛む。
また地面が揺れた。でも身体が動かない。自分は、何も状況が飲み込めないまま、自分ここで死ぬのだろうか・・・。
「大丈夫か・・・!」
頭上から声が聞こえた。見上げると、よく知った男が立っていた。大丈夫だと返事をしようと口を開いたそのとき、目の前が真っ暗になり、影に包まれた。
ガチンッと金属が何かの衝撃に耐える鈍い音が聞こえた。河野のよく知るその男は、今、目と鼻の先にいる。何かに押さえつけられ、ぐっと男の身体が自分の身体に近付く。状況をつかめかけた次の瞬間、金属が何か重いものを弾き飛ばす音とともに、また視界が明るく開けた。遠くで地面に何かが投げ出される音がした。
ボーッとしていると、腕を強く捕まれた。男が、地面に座り込んでいた河野の腕をつかみ、身体を持ち上げ、地面に着地させたのだ。男は、河野の目をしっかり見て、こう続けた。
「ここは危険だ。僕が今から道を開ける。その間に、君は向こうに走るんだ。いいかい?」
目を大きく見開いたまま、河野はただ首を縦に振った。目の前の光景が信じられない。そんな河野を見て、男は戦場には似合わない優しい目をして、力強く言った。
「心配するな。ニューヨークは僕たちが守る。」
男が前を見据える。不気味な宇宙人達が、男と河野を囲んでいる。男は武器を構え、それを敵に向かって投げた。宇宙人達が次々に武器の餌食になる。敵をなぎ倒した武器が、男の手に戻る。まるで磁石のようだ。
「走るんだ!ここから離れろ!」
男の声に弾かれるように、河野は走り出した。先ほどまで地面に転がっていたのに、身体は驚くほどよく動いた。これもあの男の力だろうか。目の前に、まだ崩れていない頑丈そうなビルが見えた。中に大勢の人だかりが見える。とにかくあそこに逃げよう。
「こっちだ!」
「早くこちらへ!」
「大丈夫?」
ビルに走り寄ると、中の人々が口々に叫んだり、大きく手を振ったりして、河野をビルに招き入れてくれた。ビルの玄関に入った途端、急に足の力が抜け、地面にへたり込んでしまった。たくさんの人が心配そうな顔をしながら、肩や背中に手を伸ばし、力の入らない自分の身体を支えてくれた。まだ頭が混乱している。見回すと、様々な年齢・人種の人々が、自分に声をかけてくれている。不思議なことに、河野は全員の言葉を理解することが出来た。誰かが肩に毛布をかけてくれる。寒くないのに、身体が震える。ビルも同じように震えている。ここもいつまで持つか分からない。
どうして自分はこんな戦場にいるんだろう。どうやってここに来たんだろう。自分は、ここでこのまま死ぬのだろうか。帰りたい。地味で質素な我が家が恋しい。あんなに嫌だった日常生活が、こうも恋しくなる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
人々が盛んに自分に声をかけてくる。軽く礼を言いながら、ふいに先ほど走り抜けた戦場を振り向く。
河野を助けた男は、まだそこにいた。武器を投げ、それが手元に返ってくる間に、素手でも敵を圧倒している。しきりに片耳に手を当て、誰かに話しかけている。
やはり河野は、その男をよく知っている。ここに来る前から知っている。その男は、つい数時間前に日本全国の人々を魅了した、あのヒーロー集団の中心人物その人だった。
ビルが大きく横に揺れた。天井のあたりから、砂ぼこりが上がる。人々が口々に叫んだ。見上げると、天井が崩れて落ちてきた。
ああ、ここも崩れるんだ。きっと自分はこのまま死ぬんだな。
ガラガラと建物が崩れる音が聞こえる。もう視界が暗くて、何が何やら分からない。河野は目を閉じた。仕事に忙殺されて、何も為せなかった人生を呪いながら。
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