第三章 異変
気が付くと、よく知った天井が視界に広がっていた。電気をつけたまま、ソファで寝てしまっていたらしい。
「夢か・・・」
思わず声が漏れる。窓の外を見ると、カーテンの隙間から、淡い光が差し込んでいた。手探りでスマートフォンを探し、ディスプレイを見ると、午前八時すぎだった。
よく見ると、SNSの通知が三件入っている。すべて同期の池田からだ。午後二十三時半に送られてきていたものだった。寝落ちしていて、全く気が付かなかった。アプリを開いてみると、次のようなメッセージが入っていた。
「お疲れ。何とか間に合ったわ。途中で、河野に激似のモブがいて、二度見したわ。」
続けて、テレビの画面を、スマートフォンで撮影したらしい、画像が送られてきていた。
「めっちゃ河野じゃん。」
画像に続いて送られてきていた、このメッセージで、会話は止まっていた。
河野は、画像に釘づけだった。憧れのヒーローに腕を掴まれ、喜びとも恐れとも驚きともとれる表情を浮かべる、全身が砂ぼこりまみれの男性。間違いなく、自分だった。まるでさっき見た夢の中での体験そのものだ。
大急ぎで、月額利用制の動画アプリのアイコンをタップし、池田から送られてきたシーンを確かめる。震える指で、大まかな狙いをつけて、十秒飛ばしでシーンを確認していく。見つかった。やはり自分だ。十秒前に戻し、画面を食い入るように見つめた。
ニューヨークで宇宙人が暴れ回るシーンで、ヒーローが手にした武器を片手に戦っている。ヒーローの目線の先には、身体を起こし、周りの惨状に唖然としている自分がいた。右の頬を擦りむいている。
「大丈夫か・・・!」
ヒーローが声を掛けた直後、画面が切り替わり、銃を手にした敵がヒーローに狙いを定め、容赦無く打った。武器を使って、敵のエネルギー弾を跳ね返し、さらに敵の突進を食い止めるヒーロー。身体を引き、力を込め、一気に敵の身体を跳ね飛ばす。敵が再起不能になったことを確認すると、ヒーローは座り込んでいた河野の腕を掴み、立ち上がらせて、声を掛けた。
「ここは危険だ。僕が今から道を開ける。その間に、君は向こうに走るんだ。いいかい?」
目を大きく見開き、ただ首を縦に振る自分。そんな自分を見て、ヒーローは言う。
「心配するな。ニューヨークは僕たちが守る。」
宇宙人が近づいてくる。ヒーローは武器を投げ、容赦無く敵を一掃した。武器は磁石のようにヒーローの手元に戻ってくる。
「走るんだ!ここから離れろ!」
その言葉を合図に、一目散に走る自分の姿。そして、その背中はビルの中の人混みの中に埋もれていった。
河野は、そこで、震える指に力を入れ、一時停止ボタンを押した。自分だ。明らかに自分だ。そっくりさんなんかじゃない。紛れもなく、あの夢での体験そのものが映画になっている。これは夢だろうか。頭が混乱して、何も考えられない。おまけに、冷や汗か寝汗か分からないが、とにかく汗で身体中がベタベタして気持ち悪い。とにかく、まずはこの不快感をどうにかしよう。そして、さっきのあまりにリアルすぎる夢について、頭の整理をしよう。河野は、のろのろと起き上がり、風呂場に向った。
シャワーを浴びながら、まだ記憶にしっかり残っている、あの夢を思い出す。
昨日、おそらく自分は、映画を観た後、いつの間にか眠りに落ちてしまったのだろう。夢の内容は、昨日観た映画の内容に影響されていたに違いない。
残念なことに、自分は破壊されるニューヨークを逃げまどう人々の一部に過ぎなかったが、憧れのヒーローと話すことができた。あの時の興奮は、今でも覚えているし、正直言って、今もドキドキしている。そこまでは良かったが、その後の結末を考えると、また夢に見たニューヨークに戻りたいとは、微塵も思わなかった。戦争の知らない平和ボケした国民代表のような自分にとって、死を覚悟した瞬間は、あの時が初めてだった。あくまで映画がモデルになっていて、フィクションなので、実際にあの場にいて亡くなった人はいない。だが、海外の紛争や震災などで、実際に同じように崩れゆく天井を目の当たりにしながら死を待った人がいると思うと、ぞっとする。
ぶり返した震えを抑えながら、河野は考えた。
自分は映画の世界を夢見るあまり、文字どおり、あの映画の夢を見た。たったそれだけなのに、どこか腑に落ちない。夢にしては、あまりにリアルだったからだ。いや、それだけじゃない。映画の内容が変わっている。自分の目でも確かめたじゃないか。夢で見た内容が、映画に反映されていたじゃないか。これは夢じゃない。同期の池田だって、同じ映像を見ていた。それに、さっき映像を確かめた動画配信サービスでは、あの映像が配信されている。信じられないが、映画の内容が変わったのだ。そうでなければ、自分は疲れているんだ。毎日続くサラリーマン生活のストレスか何かで、無自覚のうちに、何か幻覚をみるようになってしまったのかもしれない。幸いなことに今日と明日は休みだ。ゆっくり休もう。話はそれからだ。
抑えきれない興奮と混乱を抑え、何とか自分を納得させながら、河野は風呂場を出た。
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