毒母は、自分の母親を「姉さん」と呼んでいた
母は、自分の実母(私の祖母)を“姉さん”と呼んでいました。
私の祖母は、母以上にプライドが高くクセのある人でした。
物心ついた時には、父親がいなかった毒母
なぜ、私の母は自分の母親を“姉さん”と呼ぶようになったのかと言うと…
私の母の父親(私の祖父)という人は婿養子でした。
毒母の母(私の祖母)は、
娘(私の母)が生まれた時、その婿養子に顔がそっくりだったことが気に入らず育児放棄したのです。
実は、私の祖母は他に好きな人がいたのに、親の決めた相手と結婚させられたことがそもそもの原因だとか…
なので、婿養子である母の父親は、母が生まれてすぐに強制的に離婚、家を追い出されました。
ここまで、母性のない人間も珍しい…
子供の頃、私の祖母は
「あなたのお母さんを産んだ時、もの凄く大変だった。つくづく子供なんていらないと思った」といつも言ってました。
これを孫の前でも平気で話せる人だったことを思えば、私の母も相当大変な子供時代を送っていたのでしょう。
話を戻すと、
こんな理由で私の母を育てたのは私の曾祖母。
私の曾祖母は孫(私の母)の保護者として参観日、入学式、卒業式など学校行事全てに出ていたと言ってました。
当然、名簿の保護者欄も祖母(私の曾祖母)
毒母は、
“自分の実母を母だと思ったことはない”と、子供だった私によく話していました。
こんな事、幼い子供話すことではない‼️
でも、そこが“毒母”
毒母は、
母性や両親の愛情を知らずに育ちました。
そのため、まともに人格形成ができなかった。
お金はたくさんあったけれど、
こんなに家族関係が複雑ではまともな人間に育つはずがないです。
こんな人間が親になると、
生まれてきた子供は大迷惑。
子供だけでなく、その子供が結婚したら、孫、配偶者とその家族、双方の兄弟とその配偶者まで実に広い範囲に迷惑をかけ、広範囲に悪影響が及びます。
孫に“おばあちゃん”と呼ばせなかった祖母
私の祖母は、
孫に“おばあちゃん”とは呼ばせなかった。
私は祖母から、
おばあちゃんと呼ばずに“アーちゃん”と呼ぶように言われました。
だから小学生になるまで私は、
“アーちゃん”が自分のおばあちゃんだとわかりませんでした。
“アーちゃん”は自分を若く見せることに必死でした。
一般的な“おばあちゃん”とは、全く違っていました。
私にとっての“アーちゃん”は、
「いつも怒っていて、メイクばかり一生懸命やってて、文句ばかり言ってくる、うるさいオバさん」でした。
祖母だと思ったことは、一度もない。
それどころか、自分の娘(私の母)よりも、キレイになろうと必死でした。
小学生の時、授業で祖父母についての話題になった時、クラスメートはみんなおばあちゃんが好きだと言うのを聞いて驚いた記憶があります。
先生が「おばあちゃん嫌いな人は?」という質問に対して、
「はい‼️」
と、勢いよく手を上げたら私だけでした(~_~;)
話を戻すと、
毒母自身もかなり複雑な生い立ちだったことがわかります。
幼い私にとって、
母が自分の実母を“姉さん”と呼んでいる光景は、
もの凄く違和感を感じたのを覚えています。
そんな異様な家庭環境で育った私も、その影響をモロに受け、歪んだ人格が形成されていきました。