自分を許すということ

「自分の体を労る」ということを今まで意識的にしてこなかったのだと感じた。
わかりやすく言うと、「疲れているときはゆっくり休む」とかなのだが、どうなったら疲れている状態なのか、ということすら、わたしは知らずに社会人8年目の年を迎えていた。

昨年転職するまでは、体力的にというよりも精神的に疲れる仕事が多く、夜もぐっすり眠れていなかったが、今は全くの逆だ。
眠れる。秒で眠れる。

じっくり転職活動をした甲斐もあり、仕事は楽しいし自分に向いていると感じる。いろんなチャンスも多く与えてもらっていて、充実感に満ち溢れている。
ただ、とにかく業務量が多いのだ。圧倒的に。
それに加え、昨今のウイルスである。
教育業界。影響が出ないわけがない。


千本ノックか?と言わんばかりに「はい次!はい次!」とバッキバキにノックを打ち続けられている感覚で、まだ立ち上がっていないのに2、3球一気に打ってこられたこともあった。
神様へ、一旦落ち着いて話をしませんか?


そんな中でも、笑顔で誇らしく仕事に取り組めている自分は、案外タフなんだなと感じた。捉え方ひとつで、今のような状況だって少しばかり楽しむことができている。これまでの人生の中で撒いてきた種が成長し、実を結んだのだと感じていた。



───しかしそんな折、突然だった。

結論から言うと、わたしは仕事に行けなくなった。体がまったく言うことをきかないのだ。
大きな仕事を終えた翌朝のことだった。

自分にとっての大仕事をなんとか乗り切った日の夜。
「疲れた」という感情さえも頭に浮かばず、思考は完全に停止。自分の足で電車に乗って自宅に帰った記憶すらほとんどなかった。

みなぎり過ぎたのだろうか、お昼を食べる時間もなかったのにまったくお腹が空かず、帰宅後、吸い込まれるようにシャワールームに行き、雪崩れ込むようにベッドに入った。

目覚めた瞬間、今は昨日の夜か?と思った。
そう感じるほど、まったく疲れがとれていない。欠かさず食べる朝ご飯も欲しくない。
それ以外はいつものルーティンで準備をし、ちょうど家を出る時間を時計の針が指した瞬間、わたしはトイレで吐いた。止まらない。
内臓がギュッと締め付けられる感覚で、息もろくに吸えない。

結局、仕事に向かう途中の電車で限界を迎え、その日はお休みをもらうことにした。
完全にオーバーワークだった。
それに気が付いていなかったことが今でも恐ろしい。

今思えば、

・お弁当を作らなくなる
・朝起きた瞬間に次の休みまでの出勤日数を数える
・お風呂であらゆる思考が止まらなくなる
・人との会話の中でうまく言葉が出なくなる
・性欲がなくなる

パッと思いつくだけでもこれだけ、自分からのサインがあった。サイン、出まくってた。

また、最近気がついたことなのだが、わたしは疲れるとテレビに一切のツッコミを入れなくなる。
家でひとりでいるとき、猛烈にひとりごとを言うのだが、最近はほとんど何も発さなくなっていた。

そして、気がついた大事なことがもう1つ。

それは、
「感情のダムは決壊させてもいい」
ということ。


ある朝、仕事に行くのがしんど過ぎて泣いてしまった。

でもそこで、いや違う、と思った。

「泣いてしまった」ではなく、「しんどいから泣く」なわけで、それって別に普通のことじゃないのか。
抱えられなくなったら、泣いたり、誰かに甘えたりしたっていいじゃないか。
結果ではなく過程に目を向ければよかったんだ。

これまで、あるがままでこなかったのだなと実感した。あるがままの自分を認めて許すという考えを持たず、「しんどいのは物事をマイナスに捉えてしまっているからだ」と自分の心に鞭を打って、変わることに必死だった。

「こうしなければならない」や「こうすべきだ」をこなし続けることが当然で、それがステップアップするためには必要不可欠なことであると思い込んでいた。
先ばかり見るんじゃなくて、今の自分を見つめてあげないとかわいそうだよな。


ここのところ、
「あの業務量で無理やったかー(笑)」
と言ってきた上司の口をまつり縫いにして差し上げたい気持ちでいっぱいだったが、誰の期待にも応えなくていいんだ、だってわたしはしんどいんだから。

でも聞きたくない言葉なので、やっぱりまつり縫いにはしようと思う。

いつか、「認めて許す」という感覚すら手放して、あるがままの自分と流れるように生きていけたらいいな、と思う。

今泣いている自分は偉い。


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