抱きたい感情の出どころ
「抱かれたい」と書かなかったのは、わたしの弱さでもある。
わたしはあんなアカウントを持ちながら、実はセックスが苦手だ。苦手なのだと思う。
セックスは剥き出しだ。
すべて、何もかもをとっぱらって、それこそ最後の最後まで脱いで、重なって繋がるのだから。
そうならないと見せないところが、あまりにも多い。多すぎる。
そう思うと、こんなに恥ずかしいことはない。
こんなにその人らしさが出ることって他になかなかない気がする。思いつかない。
わたしは本来はゴリゴリのMだ。
電車に乗っている、スーツを着た背の高い黒髪の男の人、それも手が綺麗で指が長い人なんか見ると、たちまち、頭の中でほんわかぱっぱするのだ。
そこで、ふと思ったのが、なぜこの人とほんわかぱっぱしたいと思ったのかということ。
タイプだからだと簡単に言ってしまうと、そこで終わりだが、たぶん、その人が「わたしにはないもの」を持っているからだろう。
長い手足も、身長も、その人が出す男らしさ、男臭さみたいなものを、わたしは持っていない。
きっと、体重も倍近くあるのだ。
覆い被さられたら、まったくもって敵わない、太刀打ちできない。
それに、たまらなくキュンとしてしまう。
ものすごく惹かれる。
こういうとき、タイプだとかそういう言葉ではない、なんというか本能的なというか、自分が女であるということを強く自覚する。
守られたい、頼りたい、触れられたい、いや、どうにかされたい。
そう感じたとき、わたしは相手を異性として強く意識するのかもしれない。あくまで、性欲の一端として。
さて、冒頭に話した「抱きたい」という表現のこと。
わたしは自分をオープンにするのが、とても苦手だ。
「気持ちいい」も「こうして欲しい」も、とにかくそれを、なんの躊躇いもなく表現できるようになるまで、時間がかかる方だと思う。
ならば、「抱かれるより抱いてしまえ」。
そういうことで、あんな表現になった。
優位に立ちたいのかもしれない。オープンにしなくて済むから。こういうときこそ、素直になれたらいいのにな。
ただ、ひとつ、こんな性格でもいいことがある。
わたしはMだ。だからこそ、Mの気持ちが誰よりもわかる。
だからわたしが相手を愛するとき、相手の表情や感情に深く共感することができる。
「M起点のS」だと、誰かがしっくりくる言葉を言っていたが、まさにそれで。
セックスにおいて、こんなふうにスタンスを分けることも、もはやナンセンスな気がするのだけど。
相手の声や、よじる身体、しかめた眉や汗を見たとき、それに激しく共感し、感情移入する。
目の前に広がるすべてを、心の底から愛おしく感じるし、もっともっとしてあげたいと思う。
この瞬間のあなたを見せてくれて嬉しいし、もっともっと見せて欲しいとも思う。
というか、普段わりかししっかりしていて、カッチリ仕事なんかしている人の、そんな表情やしぐさに興奮しないわけがないですよね。(早口)
きっと、相手がわたしを見ても、同じなんだろうな。と頭では思うのだけれど。
セックスで愛されているときの自分に自信がないのに、不意に「かわいい」なんて言われたとき、愛おしそうに抱きしめられたとき、わたしは泣きそうになってしまう。
あぁ、こんなわたしを愛おしく思ってくれているんだと、溢れそうになる。
こういうとき、わたしはまだ、わたしを愛せていないなぁと、つくづく感じてしまうのだけど。
つらつら書いてきましたが、わたしはセックスが好きだ。たぶん、これからもっと好きになれると思う。相手を知りたいと思うことはもうできるから、あとは、わたしを知って欲しいと思うだけ。
知りたいと思うことは、愛だと思う。
知って欲しいと思ったとき、わたしはその人に愛されたいと、心を開いた瞬間でもある。
あとはもう何も考えない。
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